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日本推理小説の曲り角
にほんすいりしょうせつのまがりかど
作品ID56567
著者十返 肇
文字遣い新字新仮名
底本 「宝石増刊号第14巻第12号」 宝石社
1959(昭和34)年10月10日
初出「宝石増刊号第14巻第12号」宝石社、1959(昭和34)年10月10日
入力者sogo
校正者Juki
公開 / 更新2017-03-25 / 2017-01-12
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 周知のように、松本清張・有馬頼義・菊村到・柴田錬三郎ら、いわゆる純文学系の作家が、推理小説に筆をそめだした結果、これまでの専門作家による探偵小説に、ひとつの照明が、たしかに投げられたのであった。探偵小説という、私などの好きな昔なつかしい名称がすたれ、一般に推理小説という言葉が使用されはじめたのが、この現象と時を同じくしているのは、決して偶然ではなかった。いわば、これらの作家によって一言でいうならば、探偵小説のリアリズム化が行われたのであった。
 それは、まずあの「私は今なお二十年前に起った怪奇とも不思議とも形容しがたい、あの戦慄すべき事件を思いだすと……」式なハッタリ・プロローグの廃止から始まった。こういう言葉は、冒頭いきなり読者を、作品の世界へ誘導するために書かれていたのだが、今日の読者は、かえって、こういう書きだしには、「またか」という反撥こそ感じても、もはや魅力をおぼえなくなってきている。これは、あきらかに前時代の米英探偵小説の古典からの模倣であって、まったくの通俗小説ならともかく、多少とも知的であろうとする小説を求める読者には、もはや往年の[#「往年の」は底本では「住年の」]魔力をもっていないのである。
 つぎに、これは横溝正史などがよく用いたシチュエーションであるが、地方の旧家にまつわる因果ばなしによって、大きな屋敷が「化物屋敷」といわれて空家になっているというような背景が、私たちには実感をもたなくなってきたことである。住宅難にあえいでいる現代の日本では、たとえ、どんな神秘な伝説があろうとも空家などというものは、リアリティをもたないのである。前記の作家たちは、こういう舞台を取り扱わず、もっと読者の身近かにある平凡な場所を舞台に求めた。
 つぎにいうまでもなく、明敏神のごとき名探偵なるものを廃したことである。“探偵”というものが、私たちの周囲には存在しない。私たちの知っている探偵とは、興信所の事務員のごときもので、縁談の相手の品行をしらべたり、良人の浮気をさぐるぐらいの用にしか役立たず、殺人事件など手がける探偵というものの存在は、私たちの実感に遠いのである。
 これまでの日本の探偵小説は、ほとんど米英の模倣であったから、こういう日本の風土や習慣と遊離した作品であったし、読者もまた、探偵小説では、そういう非現実的な面白さで満足していたのである。しかし、純文学系の作家は、あくまでも日本的な現実の上に立って、「探偵小説」を書こうとし、それが、読者にも歓迎されたわけである。このことがいわゆる専門作家にも影響を及ぼさない筈はない。最近の新人は、佐野洋にしても、多岐川恭にしても、日本的な生活の中から、ストーリーを展開しようと努力している。もっとも、多岐川氏の場合は氏のディレッタンティズムのために、まだ、かなり現代日本人としては不自然な生活者が多く登場しているが…

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