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カン
カン
作品ID56601
著者長谷川 伸
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻25 俳句」 作品社
1993(平成5)年3月25日
入力者門田裕志
校正者雪森
公開 / 更新2014-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 俳句をむかし少し許りやったことがあるのに、いまだに私は俳句がわからない。作家生活にはいってからはますます距離を感じた。そのくせ、さすがの私といえども、或る場合には俳句とその俳句の成る事情とが、戯曲とか小説とかで、到底企て及ばない光景を描いているのに頭をさげることが、時どきある。
 紅葉山人の『煙霞療養』を読んで、判ったつもりでいたことが、実際に越佐地方をまわってみて、誤謬を発見して訂正したものがあった。その人がその後、再び越佐地方に赴いて、ゆくりなく聞いた媼翁の世間話から、かえって誤謬として訂正した、その訂正に、又誤謬を見出したという話を聞いたが、私などには到底そんな忠実も正直もない、随って他人の句をわかることが出来ないものはそのまま素通りしてしまっている。
吹飛ばす石は浅間の野分かな
雲雀より上にやすらふ峠かな
荒海や佐渡に横たふ天の川
 旅をしただけに芭蕉のこの句は、自己流に解し満足しているが、もとより、その解しているとはカンの働きで、それとは科違うがおよそ私に於ては過去も現在も恐らくは将来も、頭から終いまですべてこれカンの働きに始り終るものとし、カンの利かなくなったとき、私の作家生活は死去を告げるものと信じている。
 むかし俳句を少し許りやったときの先達は、山本蕗庵、庄司瓦全、伊藤御春たどの諸氏で尻馬にのせてもらった私は、俳諧の本など一冊も読んだことがなく、『猿蓑集』というものがあることすら知らなかった。それでも俳句会でちょいちょい入選し、故巌谷小波撰で首席にはいったことなどがある。そのころの句で今わかっているものは次の二句だけだ。
舷に瓜ただよふや島近し
たそあるかみんな睡てゐる余寒哉
 しかし、こんな句めいたものをつくるカンは、私のいうカンの働きに似て非なもので、正しくいえば、そういうことは単なる無鉄砲とか図々しさとかに入るもので、「正統カン」ではない。



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