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潟に関する聯想
かたにかんするれんそう |
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作品ID | 56608 |
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著者 | 柳田 国男 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「定本柳田國男集 第二十九巻」 筑摩書房 1964(昭和39)年5月25日 |
初出 | 「斯民第四編第十號」報徳会、1909(明治42)年11月3日 |
入力者 | しだひろし |
校正者 | 高江啓祐 |
公開 / 更新 | 2015-01-09 / 2014-12-26 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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△日本海岸風景の特色は潟に集まる 日本海岸では風景の特色が潟に集まつて居ります。妙な事には太平洋岸の潟と日本海岸の潟とは趣が全く違つて居るのです。例へば鳴海潟や清見潟などの如きは遠淺で開いて居りますが、日本海岸の潟はすつかり之と趣を異にして居るのであります。一體日本の潟には二種ありますが、地理學者は多く一方の太平洋岸でいふ潟の意味に使つて居るのであります。併し北海岸を旅行しますると、潟の趣味を深く感ぜずには居られないのであります。
△潟の生成する原因 學理上から此原因を説いたならば面白い談話も出來るのでありますが、兎に角北海岸の潟は、潮差の少い事と、一定の方向、殊に海岸線に沿うた風の烈しい事とが、潟を作つた主な原因であらうと思ひます。此日本海岸には、潟が非常に澤山あつて、二十萬分一の地圖に載らないやうな小さい潟は實に無數でありますが、其大きいものに就て申しましても、オコツク海に面した北見の猿間湖の如きも、砂嘴を以て新に作られた潟であります。潟湖の特色は、其一片を作つて居る砂嘴が海岸線に沿うて出來て、それが灣口を塞ぐので出來るのであります。
△羽前の象潟 本土に入つては、先づ青森の十三潟と秋田の八郎潟とでありますが、此二つの潟は大きな潟ですが、自分は實地を調べて居りませぬ。それから南に下つて象潟は、松島を壓するといふ位風情のある景色であつたやうですが、文政年中鳥海山の噴火で以て、陸地と平行になつてしまひました。記録を見ますると、僅かな水道で海水と連なつて居つて、今の松島の多島海のやうに、松、紅葉、櫻などの繁茂せる數十の島が點綴して居つて、其間の水に鳥海山の雪が映るといふ艶麗な景色であつたらしい。今日は其潟が悉く水田になつてしまつて、當時此風景の中心であつた蚶滿寺といふ寺なども、今は枯木寒草の中に埋められて荒廢を極めて居るのです。
△越後の干潟 それから下つて越後に來ますと、潟の數が非常に多いのです。新潟が即ち地變を受けた潟の變じて干陸になつた一例であります。其證據には、砂丘と信濃川との間に廣い水澤の地を抱へて居るのを見てもわかるのであります。またそれから南の月潟などいふ潟は、角兵衞獅子の産地として有名でありますが、今は干潟となつて居ります。此傍に現存の潟があります。即ち北蒲原郡の泊潟、西蒲原郡の鎧潟を始め、現存して居る潟があるのですが、其周圍が次第々々に水田に占有せられつゝありまして、其一半を割いて交通路、漁網の刺地に當てゝあります。今の蒲原五郡の平地が、大部分は陸地と水との中間にあるといつてもよろしい。少しく雨の多い時は稻穗を沒する位の水が漲つて、到底舟でなければ田の中を歩くことが出來ない有樣であります。
△潟の生成變遷する地文上の趨向 此地方を歩いて見ますると、潟が出來てはまた無くなる地文上の趨向が善くわかるのです。全體に南から北へ海岸線に沿うて吹く風が常…