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私が張作霖を殺した
わたしがちょうさくりんをころした
作品ID56628
著者河本 大作
文字遣い新字新仮名
底本 「「文藝春秋」にみる昭和史 第一巻」 文藝春秋
1988(昭和63)年1月10日
初出「文藝春秋」文藝春秋、1954(昭和29)年12月号
入力者sogo
校正者染川隆俊
公開 / 更新2015-11-29 / 2024-01-26
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大正十五年三月、私は小倉聯隊附中佐から、黒田高級参謀の代りに関東軍に転出させられた。当時の関東軍司令官は白川義則大将であったが、参謀長も河田明治少将から支那通の斎藤恒少将に代った。
 そこで、久しぶりに満洲に来てみると、いまさらのごとく一驚した。
 張作霖が威を張ると同時に、一方、日支二十一カ条問題をめぐって、排日は到る処に行われ、全満に蔓っている。日本人の居住、商租権などの既得権すら有名無実に等しい。在満邦人二十万の生命、財産は危殆に瀕している。満鉄に対しては、幾多の競争線を計画してこれを圧迫せんとする。日清、日露の役で将兵の血で購われた満洲が、今や奉天軍閥の許に一切を蹂躙されんとしているのであった。
 しかるに、その張作霖の周囲に、軍事顧問の名で、取り巻いて恬然としている者に、松井七夫中将を始め、町野武馬中佐などがあって、在満同胞二十万が、日に日に蝕まれていくのを冷然と眺めているばかりか、「みんな、日本人が悪いのだ」とさえ放言して顧みない。そして唯、張作霖の意を迎えるにもっぱらである。
 自分は、まったく呆然とした。支那の各地を遍歴してかなり排日の空気の濃厚な地方も歩いたが、それにしても、満洲ほどのことはない。満人は、日本人と見ると、見縊り蔑んで、北支辺りの支那人の日本人に対する態度の方が遥かに厚い。まさに顛倒である。日露戦役直後の満人の態度とまるで変っている。
 そこで、自分は、旅順にジッとしていることも許されず、変装して全満各地に情況を偵察する必要を痛感し、遠くチチハル、満洲里、東寧、ポクラニチア等、北満の南北にわたって辺境の地をつぶさに観察したが、東寧辺りでは、街路上で、邦人が、満人から鞭たれるのを目撃し、チチハルでは、日本人の娘子群が、満人から極端に侮辱されているのを視るなど、まことに切歯扼腕せざるを得なかった。旅順に帰っていても、そうした情報が頻々として来る。奉天に近い新民府では、白昼日本人が強盗に襲われたが、しかもその強盗たるや、正規の軍人てあった。邦人商戸は空屋同然となって、日夜怯々として暮しているというのであった。
 自分自身、つぶさにその暴状を目撃して来たのである。日本人の軍事顧問や、奉天にある外交官が、「日本人が悪い」と断言するに足るものが、どこに発見されたか。
 いずれも意識的、計画的に、奉天軍閥が邦人に対し明らかに圧迫せんとしている意図は瞭然たるものがあった。
 しかもその圧迫は、独りそうした暴虐に留らない、経済的にも、満鉄線に対する包囲態勢、関税問題、英米資本の導入など、ことごとくが日本の経済施設、大陸資源開発に対しての邪魔立てである。撫順で出炭する石炭に対しては不買を強いている。これでは、日本の大陸経営はいっさい骨抜きとされている。
 郭松齢事件で、もしも日本からの、弾薬補給から、作戦的指導に到るまで、少なからぬ援助がなかっ…

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