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二銭銅貨
にせんどうか
作品ID56647
著者江戸川 乱歩
文字遣い新字新仮名
底本 「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」 光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日
初出「新青年」博文館、1923(大正12)年4月
入力者砂場清隆
校正者湖山ルル
公開 / 更新2016-01-01 / 2016-01-01
長さの目安約 35 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「あの泥坊が羨しい」二人の間にこんな言葉が交される程、其頃は窮迫していた。
 場末の貧弱な下駄屋の二階の、ただ一間しかない六畳に、一閑張りの破れ机を二つ並べて、松村武とこの私とが、変な空想ばかり逞しゅうして、ゴロゴロしていた頃のお話である。
 もう何もかも行詰って了って、動きの取れなかった二人は、丁度その頃世間を騒がせた大泥坊の、巧みなやり口を羨む様な、さもしい心持になっていた。
 その泥坊事件というのが、このお話の本筋に大関係を持っているので、茲にザッとそれをお話して置くことにする。
 芝区のさる大きな電気工場の職工給料日当日の出来事であった。十数名の賃銀計算係が、一万に近い職工のタイム・カードから、夫々一ヶ月の賃銀を計算して、山と積まれた給料袋の中へ、当日銀行から引出された、一番の支那鞄に一杯もあろうという、二十円、十円、五円などの紙幣を汗だくになって詰込んでいる最中に、事務所の玄関へ一人の紳士が訪れた。
 受付の女が来意を尋ねると、私は朝日新聞の記者であるが、支配人に一寸お眼にかかり度いという。そこで女が、東京朝日新聞社会部記者と肩書のある名刺を持って、支配人にこの事を通じた。
 幸なことには、この支配人は、新聞記者操縦法がうまいことを、一つの自慢にしている男であった。のみならず、新聞記者を相手に、法螺を吹いたり、自分の話が何々氏談などとして、新聞に載せられたりすることは、大人気ないとは思いながら、誰しも悪い気持はしないものである。社会部記者と称する男は、寧ろ快く支配人の部屋へ請じられた。
 大きな鼈甲縁の眼鏡をかけ、美しい口髭をはやし、気の利いた黒のモーニングに、流行の折鞄という扮装のその男は、如何にも物慣れた調子で、支配人の前の椅子に腰を下した。そしてシガレット・ケースから、高価な埃及の紙巻煙草を取出して、卓上の灰皿に添えられた燐寸を手際よく擦ると、青味がかった煙を、支配人の鼻先へフッと吹出した。
「貴下の職工待遇問題に関する御意見を」
 とか、何とか、新聞記者特有の、相手を呑んでかかった様な、それでいて、どこか無邪気な、人懐っこい調子で、その男はこう切出した。
 そこで支配人は、労働問題について、多分は労資協調、温情主義という様なことを、大いに論じた訳であるが、それはこの話に関係がないから略するとして、約三十分ばかり支配人の室に居った所の、その新聞記者が、支配人が一席弁じ終ったところで「一寸失敬」といって便所に立った間に、姿を消して了ったのである。
 支配人は、無作法な奴だ位で、別に気にもとめないで、丁度昼食の時間だったので、食堂へと出掛けて行ったが、暫くすると近所の洋食屋から取ったビフテキか何かを頬張っていた所の支配人の前へ、会計主任の男が、顔色を変えて、飛んで来て、報告することには、
「賃銀支払の金がなくなりました。とられました」
 と…

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