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吸血鬼
きゅうけつき |
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作品ID | 56658 |
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著者 | 江戸川 乱歩 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「江戸川乱歩全集 第6巻 魔術師」 光文社文庫、光文社 2004(平成16)年11月20日 |
初出 | 「報知新聞夕刊」1930(昭和5)9月30日~1931(昭和6)3月12日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 大久保ゆう |
公開 / 更新 | 2017-10-21 / 2018-12-03 |
長さの目安 | 約 389 ページ(500字/頁で計算) |
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作者の言葉
この物語の主人公は、彼のバルカン地方の伝説『吸血鬼』にも比すべき、人界の悪魔である。
一度埋葬された死人が鬼と化して、夜な夜な墓場をさまよい出で、人家に忍び入って、睡眠中の人間の生血を吸い取り、不可思議な死後の生活を続ける場合がある。これが伝説の吸血鬼だ。被害者が血を吸われている最中に目覚めた時は、吸血鬼との間に身の毛もよだつ闘争が行われるが、多くは目覚めることなく、夜毎に生血を吸いとられ、痩せ衰えて死んで行く。この妖異を防ぐ為に、人々がそれらしい墓をあばき棺を開いて見ると、吸血鬼と化した死人は、生々と肥え太り、血色がよく、爪や頭髪が埋葬当時よりも長く伸びているので、一見して見分けることが出来る。吸血鬼と分ると、彼等は杭を以て一度死んだその死体をもう一度突き殺すのだが、その時吸血鬼は一種異様の悲痛な叫声を発し、目、口、耳、鼻、皮膚の気孔などから、生けるが如き鮮血を迸らせてついに全く死滅する。というのだ。
私の書こうとする人界の悪魔の生涯は、どことも知れぬ隠秘の隠れ家から、青白き触手をのばして美しい女を襲い、襲われたものは、底知れぬ恐怖のために懊悩、憔悴して行くところ、また、可憐なる被害者を助ける素人探偵と悪魔とのすさまじき闘争、ついに悪魔は正体をあばかれ妖術を失って、身の毛もよだつ最期をとげるまで、即ち『吸血鬼』一代記に相違ないのである。
(「報知新聞」昭和五年九月二十六日)
[#改ページ]
決闘
茶卓子の上にワイングラスが二個、両方とも水の様に透明な液体が八分目程ずつ入っている。
それが、まるで精密な計量器で計った様に、キチンと八分目なのだ。二つのグラスは全く同形だし、それらの位置も、テーブルの中心点からの距離が、物差を当てた様に一分一厘違っていない。
仮りに意地汚い子供があって、どちらのグラスを取った方が利益かと、目を大きくして見比べたとしても、彼はいつまでたっても選択が出来なかったに相違ない。
二つのグラスの内容から、外形、位置に至るまでの、余りに神経質な均等が、何かしら異様な感じである。
さて、このテーブルを中に挟んで、二脚の大型籐椅子が、これもまた整然と、全く対等の位置に向き合い、それに二人の男が、やっぱり人形みたいに行儀よく、キチンと腰をかけている。
紅葉には大分間のある、初秋の鹽原温泉、鹽の湯A旅館三階の廊下である。開放ったガラス戸の外は一望の緑、眼下には湯壺への稲妻型廊下の長い屋根、こんもり茂った樹枝の底に、鹿股川の流れが隠顕する。脳髄がジーンと麻痺して行く様な、絶え間なき早瀬の響。
二人の男は、夏の末からずっとこの宿に居続けの湯治客だ。一人は三十五六歳の、青白い顔が少し間延びして見える程面長で、従って、痩せ型で背の高い中年紳士。今一人は、まだ二十四五歳の美青年、いや美少年といった方が適当かも知れぬ。手取…