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上野界隈
うえのかいわい
作品ID56660
著者久保田 万太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆9 町」 作品社
1983(昭和58)年7月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2014-10-27 / 2014-09-15
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       *

 上野界隈。……山下から不忍池畔、広小路、湯島天神、そうしたあたりを舞台にとった黙阿弥のしばいに『霜夜鐘十字辻筮』がある。『天衣紛上野初花』がある。『黒手組曲輪達引』がある。――あんまり人の知らないものに『三題噺魚屋茶碗』がある……
 このうち『霜夜鐘十字辻筮』と『天衣紛上野初花』とは、まえのものは五幕十場、あとのものは六幕十六場というそれぞれ長いしばいである。しかもその長いしばいの、ほとんどそのすべての部分が「下谷」を世界にしている。すなわち、まえのものでは二幕目の奥山のくだりだけを除いて、あとはすべて、序幕の「不忍新土手の場」以下五幕目の「入谷杉田薫宅の場」まで、あるいは「根岸道芋坂の場」、あるいは「上野三枚橋の場」、あるいは「車坂町入口の場」、あるいは「忍ヶ岡原中の場」、あるいは「安泊丹波屋の場」、あるいは「忍ヶ岡袴腰の場」、あるいは「根岸石斎宅の場」等、上野を中心としたある限られた範囲の町々がそれらの舞台になっている。あとのものでは二幕目の吉原のくだりと、三幕目の出雲守の屋敷のくだりと、四幕目の幸兵衛閑居のくだりと、五幕目の比企の屋敷のくだりとを除いて、あとはすべて序幕の「湯島天神境内の場」以下大切の「広小路見世開の場」まで、あるいは「長者町上州屋の場」、あるいは「日本堤金杉路の場」、あるいは「入谷村蕎麦屋の場」、あるいは「大口屋別荘の場」、あるいは「上野屏風坂外の場」、あるいは「池端宗俊妾宅の場」、あるいは「入谷浄心寺裏の場」等、それらは、まえのものとおなじく上野を中心としたある限られた範囲のもろもろのけしきを、そのそれぞれの場面のうちにもっている。
『黒手組曲輪達引』も四幕七八場にあまる長いしばいだが、この作のもつ世界は、下谷と浅草と両方にまたがっている。すなわち前半が下谷で後半が浅草である。が、その前半の一部分「忍ヶ岡道行の場」は、「浮気な風に白玉が廓を抜けて落椿」という角書をもった『忍ヶ岡恋曲者』、吾妻路連中出語りの有名な浄瑠璃で、この作の中に重要な役目をもった一ト場である。――『霜夜鐘十字辻筮』の序幕の「不忍新土手の場」も、そういえば、おなじく不忍の池附近を舞台にした「忍ヶ岡の森蔭に人目を厭ふ二人連」という角書をもった『二十日月中宵闇』という清元出語りの浄瑠璃だが、このほうはあんまり重要でもなくまた有名でもない。
『三題噺魚屋茶碗』というしばいは序幕の「両国船中の場」と「同西河岸の場」とだけ……ということは『時鳥水響音』としてはじめに書下された部分だけ……が有名であとから書足された二幕目以下は上演される機会もすくなく人気にも乏しい。筋をいうと花垣七三郎の妹のお露が嫁に行くことにきまり、その暇乞かたがた根岸の親類をたずねた帰りみち悪車夫に誘拐されて上野の山の寂しいところへ連れこまれたところを、蝮の次郎吉がゆくりなくそこを通…

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