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楽になったという話
らくになったというはなし
作品ID56668
著者山之口 貘
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻97 昭和Ⅰ」 作品社
1999(平成11)年3月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2014-09-14 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 とにかく、靴も高くなった。にも拘わらず、僕は一足の新らしい靴を買ってしまったのである。僕の状態を知っている側の人に言われるまでもなく、身分には不想応な感じもするのであるが、十三円五十銭を投げ出すようにして、この足の野郎を満足させてみたのは今度が生れて初めてなのである。
 神楽坂通りの靴屋で買った靴だ。街上一面に右往左往している家鴨の口のようなあの平べったい格好のものとは違って、蔵のようにまるぽっちゃい靴先で、色は勿論、苺とは違って黒なのである。足の大きさは、僕にも似合わず九文七分というきゃしゃな足を持っている。この足を見る度に、僕の永い間の「歩いた生活」のにおいが漂ってくるのを感じるのである。実際、僕はよく歩いた。歩くことを生活していたようなものだ。なんのためにそんなに歩いてばかりいたかは、例によって、僕の浮浪人生活に触れなくては言えないのであるが、東京での生活十六年分の半分近くは、市中を歩き暮していたので半分位が特殊な期間であった。特殊な期間というのは、看板屋の見習とか書籍問屋の発送部員とかお灸学校の通信事務とか衛生屋とかの仕事をした期間のことで、仕事をした期間を特殊にしなくてはならない程、僕の生活はぶらぶら歩いてばかりいたかのようなのである。そんな風の僕をモデルにした小説が、佐藤春夫氏の「放浪三昧」なのである。その中には、次のような僕の詩が登場している。

歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋れて寝たのである
ところ構はず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあつたのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、放浪人のままではねむれない。

というのである。まるで、朝から晩、晩から朝にかけて歩きずくめの日々だったので、従って詩の上にも足が反映している如くである。僕の足は、右の詩ばかりでなく、拙著『思弁の苑』に集まった作品どもの殆どが、一応そのどこかに足のようなものをのぞかせているようだ。頭は見えなくても、足と、へこんだ腹だけはどこかにあるかのように思われる。何しろ、屋根なしの生活をしていては、物ごとを考えるにも、食うにもそれらのこと一切を足に任せていたようなもので、足だけが生活をしていたのかも知れないのである。
 左翼運動のさかんな時分であったが、そのこととは別に、僕の浮浪生活は独立していたものである。僕は、夜中の市中を歩き廻わっていたので、一晩のうち十四、五回も誰何を受けたことなどあった。二度や三度の誰何を受けるのは常であったが、足の指のはみ出した破れ靴や夏冬着通したアルパカの上衣に、折鞄など持っている僕の姿は、自分ながらも誰何したいのであったから、その筋の眼には余計にそうであったろう。…

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