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新秩序の創造
しんちつじょのそうぞう
作品ID56692
副題評論の評論
ひょうろんのひょうろん
著者大杉 栄
文字遣い新字新仮名
底本 「大杉栄評論集」 岩波文庫、岩波書店
1996(平成8)年8月20日
初出「労働運動(一次) 六号」勞働運動社、1920(大正9)年6月1日
入力者浜坂邦彦
校正者雪森
公開 / 更新2015-03-19 / 2015-02-25
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 本月もまた特に評論して見たいと思うほどの評論が見つからない。ただ一つ『先駆』五月号所載「四月三日の夜」(友成与三吉)というのがちょっと気になった。
 それは、四月三日の夜、神田の青年会館に文化学会主催の言論圧迫問責演説会というのがあって、そこへ僕らが例の弥次りに行った事を書いた記事だ。友成与三吉君というのは、どんな人か知らないが、よほど眼や耳のいい人らしい。僕がしもしない、またいいもしない事を見たり聞いたりしている。たとえば、その記事によると、賀川豊彦君の演説中に、僕がたびたび演壇に飛びあがって何かいっている。
 しかし、そんな事はまあどうでもいいとして、ただ一つ見遁す事の出来ない事がある。それは、賀川君と僕との控室での対話の中に、僕が「僕はコンバーセーションの歴史を調べて見た。聴衆と弁士とは会話が出来るはずだ」というと、賀川君が「それは一体どういう訳だ」と乗り出す。それに対して僕がフランスの議会でどうのこうのと好い加減な事をいう、というこの最後の一句だ。何が好い加減か。この男は自分の知らない事はすべてみんな好い加減な事に聞えるものらしい。
 演説会での、僕らのいわゆる弥次、もしくは打ち毀しについては、世間では随分いろんな悪評がある。で僕はこの機会を利用して、この悪評に対する悪評をして見たいと思う。



 先日、神戸で賀川君と会った時、賀川君もしきりに僕らのいわゆる弥次を批評し、堺利彦君の言葉まで引き合いに出して、あんまり世間の反感を買わないようにと深切らしく忠告までしてくれた。
 僕らの弥次に対して最も反感を抱いているのは警察官だ。
 警察官は大抵仕方のない馬鹿だが、それでもその職務の性質上、事のいわゆる善悪を嗅ぎわけるかなり鋭敏な直覚を持っている。警察官の判断は、多くの場合に盲目的にでも信用して間違いがない。警察官が善いと感ずることは大がい悪い事だ。悪いと感ずることは大がい善い事だ。この理屈は、いわゆる識者どもには、ちょっと分りにくいかも知れんが、労働者にはすぐ分る。少なくとも労働運動に多少の経験のある労働者は、人に教わらんでもちゃんと心得ている。そしてそれを、往々、自分の判断の目安にしている。いわばまあ労働者の常識だ。
 僕らの弥次に反感を持つものは、労働者のこの常識から推せば、警察官と同じ職務、同じ心理を持っている人間だ。僕らは、そんな人間どもとは、喧嘩をするほかに用はない。



 元来世間には、警察官と同じ職務、同じ心理を持っている人間が、実に多い。
 たとえば演説会で、ヒヤヒヤの連呼や拍手喝采のしつづけは喜んで聞いているが、少しでもノオノオとか簡単とかいえば、すぐ警察官と一緒になって、つまみ出せとか殴れとかほざき出す。何でも音頭取りの音頭につれて、みんなが踊ってさえいれば、それで満足なんだ。そして自分は、何々委員とかいう名を貰って…

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