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満洲通信
まんしゅうつうしん
作品ID56728
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎紀行集 アラスカの氷河」 岩波文庫、岩波書店
2002(平成14)年12月13日
初出「東京朝日新聞」1940(昭和15)年10月13日~16日
入力者門田裕志
校正者najuful
公開 / 更新2022-05-26 / 2022-04-27
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

奉天の印象

 八月の下旬思い立って、満洲へ出かけて見た。ちょっと急いでいたので、往きは航空会社の旅客機で、東京から奉天〔瀋陽〕まで飛んだ。
 今度の満洲行は、私たちがこの十年近く手を染めている低温科学の色々な問題に関連して、厳寒の満洲の野に働く人たちから、実地の問題について教えを乞い、今後の連絡にも資しようというつもりであった。それでその方面の研究に前から着手している満鉄の方と連絡をとる都合上、主に奉天に滞在することになった。
 奉天には、前に満洲事変の直後に一度来たことがあるばかりである。その後の満洲国の発展は色々話にも聞き、本でも読んで、大体想像はしていたのであるが、飛行場から奉天の街に入った瞬間、その街の姿にすっかり日本の色が浸み込んでいるのを見てちょっと驚いたのであった。そして今更のように大陸経営に注ぎ込むべき日本の力を思い測って見る気持になった。
 ちょうど高等学校時代からの友人Tが満鉄にいて、奉天に住んでいたので、その家に暫く身を寄せさせて貰うことにした。そして僅かばかりの日数ではあったが、本当に自分で奉天に住んでいる気持になって、満洲における日本人の生活と街の雰囲気とを、旅人の気持でなく味わってみようと努めて見た。それにはTの家族の人たちとも前から親しくしていたので大変都合がよかった。
 私たちが今札幌で計画している低温科学の研究というのは、かなり範囲が広いので、その中には、寒地に適した日本人の衣食住の問題というようなものもあるのである。そういう問題も、慾をいえば、単に表向きだけの「科学」にしないで、本当の家庭の生活とか、街の雰囲気とかいうものまでを考慮に入れた研究にしたいのである。それで私は暇があれば、満鉄の立派な社宅の畳の上に安閑と寝そべって見たり、ぶらぶら街に買物に出たりして、およそ研究旅行とは縁の遠い生活も味わおうと試みた。
 Tの家での経験や、その周囲の極めて限られた範囲内での見聞では、大陸における日本人の今日の生活には、現在の満鉄程度の配慮さえあれば、かなりの落着きが与えられ得ることを知った。しかし一歩街へ出ると、その印象は、私にはそれほど楽観的なものには映らなかった。
 大きい日本人の店は沢山あった。そして皆相当に繁昌しているようには見えたが、それは共喰い的な繁昌であることは致し方ないとして、それ以上に何となく消耗的な影が、店のどこかに見えるような気がして仕方がなかった。
 例えば城内の支那人街の店へはいって見ると、間口が狭くて薄汚く見えるにもかかわらず、奥行はずっと深く、そして商品が店一杯に詰っている感じであった。こういう店と、新市街の表通りにある日本人の大商店とを比較して、その経常費の差を調べて見たらというようなことも考えられた。
 街路にはこの頃急に普及した自転車洋車が氾濫して、それが自動車に代って立派に交通機関の役目を果…

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