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雲石紀行
うんせききこう
著者柳 宗悦
文字遣い新字新仮名
底本 「柳宗悦 民藝紀行」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年10月16日
初出津和野「大阪毎日新聞 島根版」1931(昭和6)年5月7日<br>益田にて「大阪毎日新聞 島根版」1931(昭和6)年5月8日<br>石見の焼物「大阪毎日新聞 島根版」1931(昭和6)年5月9日、12日<br>出雲の焼物「大阪毎日新聞 島根版」1931(昭和6)年5月13日、14日<br>工藝と人物「大阪毎日新聞 島根版」1931(昭和6)年5月16日、17日
入力者門田裕志
校正者砂場清隆
公開 / 更新2019-06-03 / 2019-05-28
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

津和野

 四年ほど前津和野を訪ねたことがある。なまこ塀の武士屋敷が両側にならんでいる。古格をこれだけよく保った町も珍しい。私はまた美しいこの通りを見たいと思った。だが山間の孤立したこんな町が、どんな運命をもつか。過去の町として見れば美しい、だが来るべき町として、心元ない感じを受けた。二度訪れる折が来た。そうして今度は明るい気持ちでその町を見ることが出来た。地理的にもすべてが遅れがちなこの町を、一人で背負っても立とうとしている人間に逢えたからだ。望月氏のもっている津和野への愛はこの町を甦らすだろう。外からいじめられるこの町は、内から深まるより途はない。企てられつつある学藝と工藝と林業とに津和野の運命はかかっている。そうしておそらくそれより正しい基礎はあるまい。私には過去の津和野が面白かった。しかし今は十年二十年後の津和野のことが一層面白く思える。

益田にて

 石見益田には二つ心を引かれるものがある。一つは最も有名な雪舟の庭、一つは名もない粗陶器。誰も後者について語ったものはなかろう、ここで味方になって弁護しよう。もっとも窯は益田のものではないが、今も細々と場末の荒物屋に残り、大概は埃だらけになって高い棚の隅か、縁の下にうずくまっている。
 見放された人間のように、居所もろくにないのである。窯は小野村喜阿弥だといわれる。益田から西方一と駅である。そこで鉄釉の碗やら壺やら土瓶やらが出来る。まだマンガンやらクロームに犯されていないから、釉がほんものである。黒ければ漆のように、赤ければ亀甲のように光る。のり入れだという小壺は形が卵のようで、蓋が美しい、焼け具合で耀変が来ると、例の大名物油屋の肩附を想わせる。今時利休でもいたら、早速中から名器を択び出すだろう。土瓶は近来どこの窯でも堕落し切ってしまったが喜阿弥の飴薬土瓶は昔のままである。卓上で紅茶の土瓶にでも使ったら誰だって見直すだろう。
 汁茶碗は十個一くくり二十五銭で買える。勿体ない感じを受ける、東京の数寄者なら一個二十五銭でも悦んで買うだろう。私はこれらのものがあるがために二度益田に足を運んだ。だがどの益田の人が、こんな悦びを受けてくれるか。名もない喜阿弥の陶工のために、これらの短い言葉が役立つことを望む。

石見の焼物

 津和野に入ると石見に入ったという想いがする。なぜなら緑の山や森の背景に赤瓦が急に輝き出すからである。それは自然をかえ建築をかえる。こればかりは他の国々では見られない。
 瓦の窯は浜田あたりから東へ海沿いに数多く続く。町を過ぎれば峠の左右は凡て窯場である。村があり人が住むというよりも窯があり瓦が働く江津、温泉津そうして大田に至るまでかかる窯は続く。いずれの窯も極めてみごとである。
 山の傾斜面を利用して少くも十五、六、多くて二十四、五の室を有った登り窯を建てる。特に豪奢なのはその屋根である…

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