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沖縄の思い出
おきなわのおもいで |
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作品ID | 56737 |
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著者 | 柳 宗悦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「柳宗悦 民藝紀行」 岩波文庫、岩波書店 1986(昭和61)年10月16日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 砂場清隆 |
公開 / 更新 | 2019-06-23 / 2019-05-28 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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尚昌侯は私の同級生でした。幾度かの機会に沖縄の品々を見ていたく心を打たれた私は、ついにその研究を志すに至り、侯爵にこの相談をしたことがあります。あらゆる便宜を計るからとの答です、私も旅の用意をあれこれとしていたのですが、思いがけなくもほどなく侯爵は他界されてしまったのです。それは大正十二年のことでした。このことは私の沖縄行を挫折させました。時折思い出しては、機会を失ったことを惜しく思いました。ただ様々にその島のことを胸に描くのみでありました。
ある人たちの話では、島の生活ももう変ってしまって、既に時期がおそく、別にこれとて見るべきものも残ってはいないだろうとのことでありました。しかしその頃よく渡って来た「びん型」などを見ると、ただただ驚きで不思議で、この島の持つ魅力はいや増すばかりでありました。
間もなく関東の震災が起ったり、居を京都に移したり、また外遊したりしている間に、早くも十年ほど過ぎてしまいました。しかしその頃日本民藝館の設立に志して、種々な材料を集めていたので、必然に沖縄のことが思い出され一度はどうしても行きたいと、その願いを強めるばかりでした。ついにそれが果されるに至ったのは、偶々沖縄県の学務部長に赴任された山口泉氏からの招聘があったからによるのであります。私は心を躍らせて海を渡りました。それは昭和十三年の暮のことでありました。そうしてこの最初の訪問は、引き続き再度三度の訪問を誘わないではおきませんでした。中でも民藝協会の人たちと協同して、一軒の家を借り調査に研究に製作にいそしんだ数カ月間の滞在は、私たちを一入この島の人たちや風物に近づけました。私たちはまるで宝の山に入ったような想いでありました。
なぜなら日本のどの地方に行ったとて、この島においてほど、固有の文化が濃く残っている所を見出すことが出来なかったからであります。それも日本の古い文化が、昔の姿のままで今も活きているのであります。それには驚きました。しかも材料は豊富でした。民俗学的な魅力はもとよりでしょうが、言語や文学や音楽や舞踊や建築や彫刻や、もろもろの工藝に至るまで、心を打つものが山ほどもあるのですから、眼も忙しく心もせきたてられる想いでありました。
例えば那覇には二つの劇場がありましたが、ともかく沖縄固有の踊やら芝居やら音楽やらを、年中毎日上演しているのです。そんな場面は日本のどの県のどの市や町に行っても見られません。地方的な芝居一つだってほとんどない有様ですが、沖縄ではそれが日々のことなのですから驚きました。それがまたとても美しいのですから尚更のことであります。
民謡も日本では、地方によってかなり盛ですしまた佳いものがありますが、しかし沖縄の前に出ては、到底比べものにならないことを知りました。特に八重山の如きは、民謡の王国といってもよいでありましょう。何しろ沖縄の音楽や…