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小鹿田窯への懸念
おんだがまへのけねん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「柳宗悦 民藝紀行」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年10月16日
初出「民藝 第百一号」1961(昭和36)年5月1日
入力者門田裕志
校正者木下聡
公開 / 更新2018-12-18 / 2018-11-24
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 誰にも読めぬ大分県日田の皿山たる小鹿田(おんだ)の地名が、今では多くの方々の口に上るまでに至った。つい三十年前には山間に深く隠れて、車も通わぬ無名のこの窯場が、今や内地のみではなく世界からも客を集めて、小型でもバスまでが日々通うに至った。
 しかし皮肉なことに、かかる急変が漸次この窯に幾多の危機を招くに至ったのを残念に感じる。今や窯を毒する様々な外敵が迫ってくるからである。実はその責任の一半は、この窯を広く世に紹介した私の双肩にかかるので、考えあぐんでいる次第である。
 窯への害毒の第一は、茶人や何も分らぬ客たちの無理解な色々の注文であり、第二は利得を忘れぬ人間どもの度々の介入である。出来得るなら、この大切な窯の正しい味方となって頂きたいといつも心に念じる。私は最初この窯の価値に対して熱心な味方となった者であるが、今ではむしろその外敵と戦うはめに至った事を残念に考える。讃美者よりも、実は贔屓の引き倒しの方に害がかえって多く、また今では利得主義の人々がなおもこの窯の外敵なのを覚えるのである。これは果して私の単なる杞憂に過ぎないであろうか。
 追伸、以上は『大分合同新聞』からの依頼で、本年の正月に寄稿した一文で、その折の対象は日田の小鹿田窯であったが、実は全く同じ事がその兄弟窯たる小石原窯に対してもいえるのである。否、小石原の方が福岡のような都市と、一日に何往復かのバスが通うので、その危険は小鹿田窯よりも更に近く迫っているともいえよう。特に利得を忘れない注文主の介入によって、民窯への無理解な買入れが続くことほど恐ろしい事はなく、地元の人たちには大いに反省する必要が起ってこよう。土地の醇朴な陶工たちが金銭で恩を売る買手の甘言に、迷わされては気の毒の至りではないか。小石原は今こそ、その歴史の曲り角に立っているのを自覚しているであろうか。ここでも他の窯々と同じく、浅い趣味の茶人たちや利己的な商人の介入ほどこの窯に毒を流すものはあるまい。近来右の弊害が余りにも目立って来たので、ここに九州での大会を機会に苦言を呈する次第である。要は貴い窯の伝統を今後も乱さないようにお希いして止まない。これらの私の懸念は、果して単なる杞憂に過ぎないであろうか。
 ではどうしたら小鹿田や小石原の窯を正しく発展さす事が出来るのか。
 第一に必要な根本条件は、これらの窯々が持つ伝統のよさを美しさの上から正しく理解し得る人を見出して協力を求める事である。これがないと、幾ら金銭的に保護されても、ますます品物が悪くなる危険が迫ろう。かかる貴重な窯では、常に質を量の上に置くべきである。世界に見られる一つの好適例を挙げよう。蘇国の沖に小さな孤島の「セント・キルダ」がある。この孤島で立派な手織の毛織物が長らく生産されて、世界的な名声を博した。注文は殺到するが、悲しい事に狭く小さいこの島で飼い得る羊の頭数に…

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