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新書太閤記
しんしょたいこうき
作品ID56755
副題04 第四分冊
04 だいよんぶんさつ
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「新書太閤記(四)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年6月11日
初出太閤記「読売新聞」1939(昭和14)年1月1日~1945(昭和20)年8月23日<br>続太閤記「中京新聞」他複数の地方紙1949(昭和24)年
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2014-12-31 / 2016-01-03
長さの目安約 385 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

露のひぬ間

 九死に一生を得、殿軍の任を果して帰った将士が、京都に帰りついた第一夜の望みは、
「とにかく寝たい!」
 それだけだった。
 君前に報告を終って、退って来る途中からもう藤吉郎は、
「寝るのだ寝るのだ」
 と、居眠りながら歩いていた。
 それが、四月三十日の宵であった。翌る朝、ちょっと眼がさめたが、また寝てしまった。午ごろ揺り起されて、粥を喰べたが、その味もまだ美味いと感じるだけで夢うつつだった。
「また、お寝みですか」
 側の者も、呆れ顔した。しかし、さすがに二晩目は、宵のうちに眼がさめて、大欠伸を一つすると、それから体をもて余してしまった。
「おい、幾日か、きょうは?」
 そんなことを訊いたりした。
 次の間の詰侍が、
「二日でございます」
 と、答えると、
「えッ、では明日は三日か」
 と、驚いた顔した。
「二日か。ではもう御主君にも、お疲れは癒えたろう。……いや、心の疲れはどうかな?」
 独り言をもらしながら起ち上がって、持て余した体を室外へ運んで行った。
 皇居を造営し、将軍の新館も信長が建築したものであるが、まだ信長自身は、洛中に館を持っていない。上洛のたびに寺院住居である。そして幕下の諸将は、境内の末院を宿舎としていた。
 藤吉郎は、その一院を出て、久しぶりこの世の美しい星を仰いだ。もう五月になるかと思う。
「生きているな。この体」
 と、ぴちぴち意識する。何だか非常にうれしいのである。
 夜中だが、信長に眼通りを願った。待っていたようである。すぐ会った。
「藤吉郎、何がうれしいのだ。非常にそちは爽やかそうに、にこにこしておるではないか」
「これが欣しくなくて何といたしましょう」――と、彼は答えた。
「日頃は、この生命など、有るとも持っているとも、ありがたくは覚えませんが、死中から拾ってみると、なんとも、愛しくて、歓ばしくて、生命のほか、何物も要らない気がいたします。――こうして、燭の明りを見られるのも、殿のお顔を仰がれるのも、生きていればこそと、勿体なく、ただありがたく思われまして」
「ううム……そうよのう」
「殿の御心懐は」
「残念でならぬ……」
「まだ、遠征の惨敗を、苦にしておられますか」
「信長、初めて、敗戦の辱と苦い味を知った」
「道理で、すこし茫然とお見うけ申されます。それがしのように、お考えなされませ。どこに、敗北の苦味を嘗めないで、大事をなした者がありましょうや。一町人の経営といえども、そんな甘やかされた生涯があるものではありません」
「そうか。そちの眼にも、信長の面がそう見えたか。馬腹、一鞭当てねばならんな。――藤吉郎、身仕度せい」
「えッ、身仕度して?」
「岐阜へ帰るのだ」
 自分の考えは、信長を超えていると、密かに誇っていると、信長の思慮はまた、自分の思慮の先へ出てくる。
 急遽、岐阜の本城へ帰る必要はある。い…

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