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銀座街頭
ぎんざがいとう
作品ID56788
著者三好 達治
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆90 道」 作品社
1990(平成2)年4月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-02-19 / 2015-01-27
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この三月いつぱいで東京都の露店はいよいよ姿を消すことに結着した。ひとしきり歎願運動や署名運動で揉みあつてゐたのもつひに効果がなく、費用をつぎこんだだけが結局馬鹿を見た訳で、もうどうにも仕方のないことになりましたといふやうな歎息は、私のやうな者の耳にまで先刻届いてゐる。私は露店組合とは何の縁故もないが、私の知人には露店商人が二人ゐるので、彼らから事情はあらまし聞かされた。その一人は穏健平凡な現代詩を書いてゐる好人物の詩人で、他の一人は風変りな風俗小説を熱心に書きつづけてゐる小説家である。私は極めて世界の狭い人間であるが、その私ですらも、かうして彼らの仲間にいささか直接のかかはりを持つてゐる位であるから、露店商人とひと口にいつても、――それは地方の相当の都会を一つそつくりひとまとめにした位の内容であらうかと想像される。知人のいふところでは係累をも含めたその総人口は概算十万といはれてゐるさうである。かういふ際の数字は過大になり勝ちのものだが、何しろ軽少な数ではあるまい。露店は交通防火の支障となるのと、都市の美観を損ねるといふので、この度の措置を見るに至つたのださうだが、なるほどさういはれれば無慙なやうに聞える措置の側にも立派に計画的な理由はあるので、現在眼の前に見てあやしまない唯今の街頭風景はたしかに畸型な状態といはなければならない。露店の存廃に就て、この際私には為政者めいた意見はない。私は雑貨屋さんの詩人と古本屋さんの小説家と、二人の知人がさしづめ多少の困難を忍ばなければならないだらうとそれを気の毒に思ふのとともに、また先ほどの十万人の人口がこの都会の中でどう移動を済すか、その迷惑と混乱とを想像していささか暗澹たらざるを得ないけれども、それかといつて現状維持の肩をもたうとするほどの気持にもなりかねる。何しろ混乱は社会生活のあらゆる隅々にまで行渡つてゐて、その支柱とも基幹ともなるべき秩序と調和の方は薄弱無力を極めてゐる現在だから、――いづれ整理は必要にきまつてゐるとして、それを街頭整理露店廃止といふやうなところから、まづ手を染めるのが、しかしながら着手の順序の当を得たものであらうかどうか。それならあの盛り場の国民車はいつ頃姿を消すのだらう。

     ○

 私なんかが学生の頃、もう二た昔の余も以前になるが、その頃は昼間の銀座通りなんかは人通りも今日のやうでなく、歩道はがらんとして紙屑なんかがやたらに散らかつてゐた。灯ともし頃からそろそろ露店も出揃つたが、それも松坂屋側の片側で、千疋屋側からはそれが一寸別世界のやうに眺められた。屋台の組立て、屋根掛け、商品の陳列、点灯、――さうしてその軒並みのおひおひ整ふ時分には、とつぷりと日が暮れる、それをどこかの喫茶店の二階からでも見下ろしてゐる、薄暮から夜景に変るそんな時刻の推移には、何か不思議な情趣があつた。私どもはコ…

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