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土俵の夢
どひょうのゆめ
作品ID56791
著者尾崎 士郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻2 相撲」 作品社
1991(平成3)年4月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-01-01 / 2015-02-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 去年(昭和二十一年)の歳末、鈴木信太郎さんがひょっこりやってきて一杯飲みながら、いろいろな画を描いていってくれた。鈴木さんがびっこをひきながら私の住む伊東の町はずれまで来るのは並大抵のことではなかったであろう。口に出してこそ言わなかったが私の流謫生活を憐れみ、私を慰めるためにやってきたのである。私は感興のうごくにしたがって鈴木さんに勝手な注文をしいろいろな画をかいてもらった。鈴木さんはこんど帝展の審査員になったそうであるが、そんなことは鈴木さんの画家としての価値にいささかも増減を加えるものではなく、私は唯、鈴木さんのような人柄のひとが審査員になったということを世間通俗の人情の上でよろこばしいことだと思っている。概して鈴木さんの画は色彩に重点がおかれているようであるが、それに童話的な線のうつくしさがぴったりと調和して豊かな人生味がうまれてくる。私は今まで鈴木さんのように気楽にのびのびと画をかいている人を見たことがない。もう少しもったいをつけたらどうかと思われるようなところでも鈴木さんはらくらくとつきぬけていってしまう。画のすきな子供が画を描かずにいられないような素直さを鈴木さんは今なお失わないで持っている。鈴木さんは東京へかえるとまもなく、国技館を題材にした画を二枚私のところへ送ってきてくれた。正月にはいって、その画が私のところへ届き、ひろげてみると、一枚は双葉山が引退のときの土俵入で、太刀持が羽黒山、露払いが照国である。まん中にいる双葉山が右手を胸にあて、左手をぐっとのばし、右足を心持ち前にふんばっているところであるが、少し距離をおいてみると、左に伸びた手に全身の重心が保たれ、土俵全体が手の動く方向にひろがってゆくような大きさが画面を支配している。去年の秋場所に得た画題であろう。画の横に説明がついていて「双葉山引退相撲、横綱土俵入、照国、羽黒山、双葉山の三横綱の豪華な土俵入を見る。昭和二十一年十一月十九日於国技館」と書いてある横に、「相撲とりならぶや秋の唐錦」という俳句が書きそえてある。
 もう一枚は、「国技館丸天井のなつかしい思い出」という題のついている画で、天井の上には電灯がかがやき、全勝力士の掲額が両側をうずめている。その下の見物席には人の顔が葡萄の房のようにつらなって、背景が黒くぼかしだされているので人の輪廓がくっきりとうかびあがり、土俵の上には行司が立ち、あかるい照明の下に幕内の土俵入がはじまろうとしているところである。天井に交錯されている国旗と海軍旗の配合もなつかしく、土俵入の列が土俵にちかづこうとするところで、最初から四番目におそろしく丈の高い猫背の男がいるのは昔の出羽ヶ獄であろう。過去の思い出をうかべた和やかな情趣が漾っている。この二つの画を額に入れて眺めているうちに私は久しく見たことのない土俵をおもいだし、佗しく切ないばかりの感慨を覚えた…

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