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女性史研究の立場から
じょせいしけんきゅうのたちばから
作品ID56792
著者高群 逸枝
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻99 歴史」 作品社
1999(平成11)年5月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-01-01 / 2015-02-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

学問の自由1

 日本歴史の新しい検討ということがもとめられている。女性史の一研究者として、私はこの際若干の感想をのべてみたい。わが国の歴史研究が狭く浅く、政治史にかたよっている点は、すでに多くの人からいわれてきたとおりであるが、敗戦を機会にそれらのことはむろん反省せられねばならない。
 根本の問題は学問の自由、真理の探求であるが、学者がつねに政治的制圧をうけることはまぬがれえない。
 私の経験からいえば、女性史なども、なにか社会や男性に反抗する危険思想ででもあるかのように思われがちで、ずいぶん不愉快な圧迫や俗見とも戦わねばならなかった。
 私は、昭和十三年に、足かけ八年の労作になる女性史第一巻を「母系制の研究」として世に出した。この題目など、とくに、現行家族制の父系思想からみて、好ましくない印象をもたれたことも、うなずけないことではない。私は江戸時代の儒者たちが、天照大神の男性説を唱えねばならなかった心持がいまだに残って学問研究を妨げているのを残念に思う。
 上梓に際し、出版書肆からは、わざわざ当局の注意事項が伝達された。それはかなり非常識なものであった。
 学問の自由について、なお一つ付け加えたいことは、歴史家自身についてである。わが国の歴史家には、独立心がとぼしく、研究の方法のごときも、とかく外来の史学や方法論をそのまま尺度としようとし、みずからそれを生み出そうとはしない場合が多いといわれる。したがって演繹的、説明的な態度が多くとられ、帰納的、実証的な方法は一般に欠けているという。このことは自省されねばならないと思う。

史観の革新2

 女性史は、まったく新しい分野を開拓するものであって、この研究が進められて行けば、当然従来の史観の誤謬を訂正する部分も多いはずである。
 私もこの研究に専念するようになって、まだ十五、六年ぐらいにしかならないけれども、それについて気づいている事例はすくなくない。私は第一巻「母系制の研究」を出してから、第二巻「招婿婚の研究」に没頭し、まだ成稿の運びにいたっていないが、この招婿婚の問題にしても、考えさせられることが多い。
 招婿婚の語は、一般に学術語化しているから、私も便宜上用いるわけであるが、語義からいえば、matrilocal marriage(母所婚)か、わが古語の妻問(ツマドヒ)とするのが正しいであろう。もっともわが国では、同様式のものを時代によって「妻問」と「婿取」(ムコトリ)とに呼び分けている。すなわち妻問(またはヨバヒ)の語は、「記紀」「風土記」「万葉」「伊勢」等にまで見え、それ以後の「源氏」「栄華」等から、終焉期の「徒然草」等にかけては「婿取」とかわっている。
 これには理由があるのであって、前者は原則として夫婦別居の時代で、文字通り夫が妻を問う―モルガンの対偶婚に似た―婚姻の時代である。後者は妻家を起点と…

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