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![]() わたしのかったいぬ |
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作品ID | 56795 |
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著者 | 斉藤 弘吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本の名随筆76 犬」 作品社 1989(平成元)年2月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2015-01-01 / 2015-02-18 |
長さの目安 | 約 17 ページ(500字/頁で計算) |
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最初はカラフト犬
私が最初に飼った犬は、カラフト犬でした。大正の終わりごろですが、その当時はほしいと思う日本犬が手にはいらなかったので、立耳巻尾で形が似ているカラフト犬を、ホロナイ河口で漁業組合長をしていた友人に頼んで送ってもらったのです。生後二カ月余、全身黒褐色で胸のところに白毛があり、ムクムクふとって、ちょうどクマの子そっくりでしたので“クマ”と名づけました。東京の気候は、カラフト犬には暖かすぎるので、夜も外につないでおきました。ところが、これがわざわいとなったのです。というのは、飼って間もなく夜半に外から侵入して来た狂犬病の浮浪犬にかまれ、この恐ろしい病気をうつされて、とうとう私自身の手で悲しい処置をしなければならなくなったのでした。犬を飼ったら、決して外から他の犬がはいって来られるところに置くものでないと覚ったことでした。
土佐闘犬の子犬
自分の家の犬が狂犬病になったので、一家中十八日間も毎日世田谷の家から目黒の伝染病研究所に通って予防注射を受け、もう再び犬は飼うものでないと決心したのでしたが、一度かわいい純真な犬の愛情を知ると、もうどうにもさびしくてたまらず、つぎに飼ったのが血統の正しい土佐闘犬の子でした。うす茶色の美しい犬でしたが、残念ながら骨軟症という骨の病気にかかり、これをなおそうと牛の骨を食べさせすぎて、胃腸を悪くし、とうとう死なせてしまいました。
その後、私は日本犬保存会を作り、日本犬の調査や研究を始めたので、よい日本犬が手にはいり、戦前まで飼った犬は全部日本犬で、合計十数頭にのぼります。このうち、いまなお忘れられない犬のことを少し述べましょう。
秋田犬“出羽”号
秋田犬“出羽”は秋田県大館市のある畜犬商が種犬にしていた犬で、うす赤の、肩の高さ六十一センチぐらい、耳が小さく立ち、尾は太く左巻きで、体型も気性もまことによい犬でした。当時、私の家は山小屋ふうの洋館で、板敷でしたので、夜は家の中に入れて自由にしておきました。家から十六メートルばかり離れた中門のあたりに人が来ると、私たちにはその足音も聞こえないのに、出羽はもう玄関のドアの前に行って低くウーッとうなっているのです。家の者が来客と話して、警戒しなくてもよい人間とわかると、もう身を引いておとなしくなります。私が来客と話しているときは、いつも私のイスの側に横になっているのですが、客と議論したりして声高になると、出羽は立ってウーッと攻撃の姿勢をとるのでした。
夜、私たちは二階にやすみ、出羽は階段の下の洗面所のドアの前に寝て、私たちを守ってくれるのがいつものならわしでしたが、年の暮れのある夜半のことです。突然出羽が猛然とほえたので、びっくりして飛び起きました。出羽のほえ声は実に大きな威力のある声で、数百メートル離れた駅までも聞こえるほどだったのです。階段を下りて見ると、出羽は洗…