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道順は彼女に訊く
みちじゅんはかのじょにきく
作品ID56796
著者片岡 義男
文字遣い新字新仮名
底本 「道順は彼女に訊く」 角川文庫、角川書店
2001(平成13)年11月25日
入力者八巻美恵
校正者高橋雅康
公開 / 更新2014-04-07 / 2018-06-17
長さの目安約 372 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

第一章 五年前のこと


 三日前に引っ越しは完了した。住むための部屋ではなく、仕事場としての部屋だ。だから家具その他、日常のこまごましたものはほとんどなかった。いくつもの本棚とそのなかに詰まるべき本。数多くの資料とそのファイル。コピー機やファクシミリ、ワード・プロセサー、プリンターなどの機器。そして必要に応じて買い足して来た結果の、いくつかのデスク。
 主たるものはすべて収まるべき位置にすでに収まっていた。事務機器の配置を正午過ぎにきめたあと、日比谷昭彦は部屋を出て駅の近くまで歩いた。ベーカリーの二階の気楽なレストランで、サンドイッチとコーヒーの昼食を彼はひとりで食べた。そしてふたたび部屋に戻った。六階建てのさほど大きくはない集合住宅の、三階の西端にある3LDKの部屋だ。
 玄関を入ると正面に廊下が奥に向けてまっすぐにのびている。この廊下によって、3LDKの間取りは左右に振り分けてある。廊下を奥まで歩ききると、突き当たりはバルコニーだ。そしてそのバルコニーに面しているのは、フロアが板張りになったいわゆるリヴィング・ダイニングのスペースだ。十畳ほどの広さだ。
 リヴィング・ダイニングの手前左側がキチンで、そのさらに玄関寄りにトイレット、そしてそこから玄関まで、壁面が廊下に沿っていた。壁面には本棚を置けるだけの奥行きがあり、壁面の広さとともに、それは日比谷のような仕事をしている人にとっては魅力的だった。この壁面に、望んでいたとおり、彼はすべての本棚を収めることが出来た。廊下の東側は、バルコニーから順に、八畳の和室、その押入れ、浴室と洗面、クロゼットのある主寝室、そしておなじくクロゼットのついた、ひとまわり小さい洋室だ。
 主寝室を執筆の部屋に、そしてひとまわり小さい部屋を執筆の準備のために使うことに、日比谷はきめていた。そのふたつの部屋の外にもバルコニーがあった。これまでの仕事場から移ってきたばかりの部屋のぜんたいを、日比谷は観察しなおした。そしてバルコニーに出て、手すりの前に立った。五月の晴れた日の午後、知らなければそれがいまの日本のどことも正しく見当をつけることの出来ない、特徴のなにもない、なかば住宅地そしてなかば商業地区のような一帯を、彼は見渡した。
 部屋は気にいった。場所も総合的にいってたいへん有利だ。だからここで、これからの自分はさらに何年か、仕事をすることになる、と彼は思った。あと三年で彼は四十歳だ。四十歳になるときには、まだこの部屋でノンフィクション・ライターとしての仕事をしているはずだ。完全に徒手空拳と言っていい、フリーランスの仕事および生活だ。この先どのようなことになるのか見当も予測もつかないが、興味の持てる対象を見つけては、ひとりで調査を重ねていくノンフィクションの作業は、充分に楽しく快適だし彼はそれが好きだった。他のことはもう出来ないだ…

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