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咢堂小論
がくどうしょうろん
作品ID56811
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「堕落論・日本文化私観 他二十二篇」 岩波文庫、岩波書店
2008(平成20)年9月17日
入力者Nana ohbe
校正者酒井裕二
公開 / 更新2016-06-12 / 2016-03-04
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 毎日新聞所載、尾崎咢堂の世界浪人論は終戦後現れた異色ある読物の一つであったに相違ない。言論の自由などと称しても人間の頭の方が限定されているのであるから、俄に新鮮な言論が現れてくる筈もなく、之を日本文化の低さと見るのも当らない。あらゆる自由が許された時に、人は始めて自らの限定とその不自由さに気付くであろう。とはいえ、ともかく新鮮な読物の極めて稀な一つが八十を過ぎた老人によって為されたことは日本文化の貧困を物語ることでもあるかも知れぬ。
 咢堂の世界浪人論によれば、明治維新前の日本はまだ日本ではなく、各藩であり、藩民であって、各藩毎に対立し、思考も拘束されていた。日本及び日本人という意識は少なかったのである。この藩民の対立感情が失われ、藩浪人若くは非藩民となったとき日本人が誕生したのであって、現在は日本人であり他国に対する対立感情をもっているが、要するに対立感情は文化の低さに由来し、部落の対立、藩の対立、国家の対立、対立に変りはない。今後の日本人は世界浪人となり、非国民とならなければならぬのだが、非国民とは名誉の言葉で高度の文化を意味している。日本人だの外国人だのと狭い量見で考えずに、世界を一つの国と見て考えるべしと言うのであった。即ち彼の世界聯邦論の根柢である。
 その一週間ほど前の朝日新聞には志賀直哉の特攻隊員を再教育せよという一文が載っていた。死をみること帰するが如く教えられ、基地に於て酒と女と死ぬことと三つだけを習得した特攻隊員が終戦後野放しになり、この生きにくい時節に死をみること帰するが如く暴れられては困るから、彼らを集めて再教育せよという議論である。彼は世人に文学の神様などと称せられているのであるが、このピントの狂った心配に呆気にとられたのは私一人ではなかったであろう。
 死を見ること帰するが如しなどと看板を掲げて教育を施して易々と註文通りの人間が造れるものなら、第一に日本は負けていない。かかる教育の結果生れた人格の代表が東条であり真崎であり、軍人精神の内容の惨めさは敗戦日本に暴露せられたカラクリのうちで最も悲痛なる真実ではないか。日本上空の敵機は全部体当りして一機も生還せしめないと豪語した結果の惨状は御覧の如くであり、飛行機のことは俺にまかせて国民などは引込んでおれと怒鳴り立てた遠藤という中将が、撃墜せられたB29搭乗員の慰霊の会を発起して物笑いを招いているなど、職業軍人のだらしなさは敗戦日本の肺腑を抉る悲惨事である。軍人精神には文化の根柢がないから、崩れると惨めである。浮足立って逃げ始めると大将も足軽も人格の区別がなくなり一様に精神的に匪賊化して教養の欠如を暴露する。死生の覚悟などというものは常に白刃の下にある武芸者だの軍人などには却って縁の遠いもので、文化的教養の高いところに自ら結実する。問題は文化、教養の高低であって、特攻隊員の死をみること…

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