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エルヴィスから始まった
エルヴィスからはじまった
作品ID56823
著者片岡 義男
文字遣い新字新仮名
底本 「ぼくはプレスリーが大好き」 角川文庫、角川書店
1974(昭和49)年3月10日
「エルヴィスから始まった」 ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年10月24日
初出「ぼくはプレスリーが大好き」三一書房、1971(昭和46)年1月31日
入力者上原陽一
校正者八巻美恵
公開 / 更新2014-07-07 / 2018-07-30
長さの目安約 381 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

1 ミシシッピー州東テュペロ



 その双子の兄弟の名は韻を踏んでいた。兄のほうはジェス・ギャロンといい、弟は、エルヴィス・アロンだった。貧しい生まれだった。父親のヴァーノン・プレスリーは、二〇歳。利益のなんパーセントかをもらう契約で綿農園で働く雇われ農夫だった。妻のグラディスは一九歳。パートタイムの仕事がみつかれば、それですこしずつかせいで家計に加えた。国内は不景気だった。ミシシッピー州のそのあたりには、当時のアメリカでももっとも景気のよくない農園がそろっていた。
 ジェス・ギャロンは、生まれてまもなく死んでしまった。エルヴィス・アロンも、はじめは順調ではなく、生まれてからひと月ほどは、長くもつ命ではないであろうと考えられていた。しかし、ひと月をこえると、その赤ん坊は、丈夫になっていった。この双子の兄弟が生まれたのは、社会保障法が成立した一九三五年の一月八日の夜だった。ひどい嵐で、はげしい雨が東テュペロの赤土を叩いていたという。
 ミシシッピー州東テュペロは、テュペロから三マイルはなれている。この東テュペロからアラバマに向かう道を二マイルほど車で走ったところに、プレスリー家の建物があった。事実上はひと部屋しかない木造平屋の、家というよりは小屋と呼んだほうが正確な住居だった。門が一五フィート、長さはそのちょうど倍の三〇フィート。床は高床式のまねごとみたいに高くなっていて、ポーチへは階段を五段あがる。
 グラディス・アンド・ヴァーノン・プレスリー夫妻は、宗教に熱心だった。テュペロのファースト・アセンブリー・オヴ・ゴッド教会が、ふたりの宗教の場だった。ひとりっ子のエルヴィスは、まだひとつにもならないうちから、この教会となじむことになった。七五人分の席しかない、小さな教会だった。
 エルヴィスは、四歳になると、母親のひざから降りて、教会の中央通路を歩いてプラットフォームの下までいき、そのうえでうたう聖歌隊に聞き入るのだった。言葉はまだわからないため、リズムやメロディを、エルヴィスはおぼえるのだ。
 両親といっしょにゴスペルをうたうエルヴィスは、数年後には、その教会の名物になっていた。教会がおこなうバザー、キャンプ・ミーティング、リヴァイヴァル・ミーティングなどで、プレスリー一家のトリオはよくうたった。エルヴィスは、教会とゴスペルを中心に、かなり厳しく育てられた。おとなしい子供だったエルヴィスは、両親と讃美歌をうたっているときは、楽しそうだった。
 テュペロにある公立学校のほとんどでは、朝、一日の授業がはじまる前に、みじかいおいのりがおこなわれていた。エルヴィスが東テュペロ・スクール(現在はローホーン・スクール)の五年生だったとき、担任の先生、ミセス・J・C・グライムズが、
「みなさんのなかでおいのりの文句をちゃんと知っている人はいますか?」
 と、二日つづけて、…

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