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![]() しょろうしょとん |
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作品ID | 56830 |
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著者 | 辰野 隆 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆36 読」 作品社 1985(昭和60)年10月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2015-02-11 / 2015-01-28 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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古は渇して盗泉の水を飲まず、今は盗泉の名を改めて飲む。といふのは、今から二十五六年前に、長谷川如是閑氏の吐いた警句であるが、氏は近頃再た、悉く書を信ぜば書なきに如かずといふ怠け者の格言を、悉く書を信ぜざれば書あるに如かず、と訂正した。蓋し真に書を読む人の体験でもあり、達人の至言でもある。
元来、書物などは実生活には無用の長物であるから、読まぬ奴は読まぬし、信ぜぬ輩は信ぜぬのだから、少きを患ひともせず、多きを妨げずと悟つた方が温くて涼しからう。ところが、同じく書物でも珍本、稀覯書、豪華版と来ると、こいつは多きを惧れ、少なければ少ないほど所有者は鼻を高くする。斯ういふ病が高じると、世界に二冊しかない珍本を二冊とも買取つて一冊は焼捨ててしまはねば気がすまなくなつて来る。親友山田珠樹、鈴木信太郎の両君が正に此種の天狗のカテゴリイに属する豪の者である。彼等の言ひ草に依ると、『あれほど味の佳い秋刀魚や鰯が、あり余るほど漁れて、安価いのが、そもそも怪しからん』のださうである。なるほど秋刀魚や鰯も、若し尠ければ、たしかに、豪華版になる価値がある。
鈴木信太郎君は嘗て僕を『豪華版の醍醐味を解せぬ東夷西戎南蛮北狄の如き奴』と極めつけた。山田珠樹君は先頃たまたま、『彼は本は読めればよし酒は飲めればよし、といつた外道である』と、全で僕を年中濁酒を飲みながら、普及版ばかり読んでゐる書狼(ビブリオ・ルウ)扱ひにした。寔に心外の事どもである。然しながら、つらつら往時を顧み、二昔以前に溯つて、未だ両君が型のくづれぬ角帽を頂いてゐた秀才時代から、次第に書癖が高じて、やがて書痴となり書狂となり遂に今日の書豚(ビブリオ・コッション)と成り果てた因果に想ひ到ると、僕にも多少の責任が無くはない。そもそも両君が物心がついて、書物を恋するやうになつた狎れそめは、当時、両君が一日僕を訪れて、書斎の書架に気を付けの姿で列んでゐた仏蘭西の群書を一目見てからの事で、その時から、二人ながら手を携へて、ふらふらと病みついたのであつた。その後僅か数年の間に、僕の蔵書数は山田君に追越され、鈴木君に追抜かれ、今では僕もつくづく、後の雁が先になる悲哀を楽しむ境に残された。病雁の夜寒に落ちて旅寝哉、といふと如何にもしほらしく聞えるが、雁過ぎていよいよ旨き夕餉哉、では洵に疏懶恥多しである。
僕は山田君から、『酒は飲めればよし、本は読めればよし、』と評せられたが、此の酒に関する山田君の評は全く当つてゐない。葡萄酒にかけては山田君に甲を脱ぐが、日本酒なら、僕にも一家言がある。僕は年来、菊正宗の信者なのである。これ以上の酒は、日本は愚か、朝鮮中国、欧米にも断じてある事なしと信じてゐる。ウイスキイなどは無論酒の数にもはいらぬが、如何に優良な葡萄酒、シャルトルウズ、フィイヌ・シャンパアニュと雖も、一献の菊正宗には遠く及ばぬ。唯僅…