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浜尾新先生
はまおあらたせんせい |
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作品ID | 56863 |
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著者 | 辰野 隆 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆71 恩」 作品社 1988(昭和63)年9月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2015-02-22 / 2015-01-16 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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毎週二回か三回、僕は帝大構内の、浜尾新先生の銅像の下を通つて、丘の上の教員食堂に午飯を食べにゆくのだが、その銅像を眺める度毎に、在りし日の先生とは似てもつかぬ姿だと思はぬためしはない。率直に言へば、この銅像は浜尾先生ではないのだ。食へない狸爺的総長が年度がはりの予算について思案してゐるやうでもあり、総長の椅子も一時の腰掛としてはまんざらでもない、と云つたやうな政治家的人相が、観る者を親しましめないのである。その昔、僕等が慈父の如く懐しがつた故先生の特質がこの銅像には殆ど現はれてゐない。
第一に、浜尾先生の顔はいつ見ても春風駘蕩で、その慈眼には子弟を愛する温情があふれるほど湛へられてゐたのに、銅像の顔には、かすかな笑ひの裡に、専制的な意志と皮肉な冷やかさが潜んでゐる。第二に、銅像のポオズが、未だ嘗て僕等が昔の先生に於いては一度も見たことのない、脚を組んで手で頬を支へた姿勢なのである。謹厳な先生にしても、その生涯に一度や二度はあんなポオズをされたこともあつたかも知れぬし、さうした姿の写真もあるのかも知れぬが、少くも僕等は、あの銅像のやうにバタ臭い先生の態度を一度も見たことがなかつた。どう考へても制作者は浜尾先生といふ仁を知りもせず、見もせず、その人格の香りに触れなかつたアルティストに相違ない。
尤も、今の帝大学生は既に先生の風[#挿絵]を知らず、在りし日の面影をしのぶよすがもないから、あの銅像が本尊に似なくても、何等の痛痒を感ぜぬだらうが、少しでも、先生の謦咳に接し温容に親しんだ人々は、仁者を描いて狗盗に類するあの銅像を、頗る物足らなく思ふことであらう。
全く、浜尾先生のやうな名総長は何処の学府でも再び得られぬかも知れない。先生はL・L・Dといふ立派な学位を持つて居られたが、それが如何なる学問を意味するものか、僕は永い間知らなかつた。学生時代に僕等の仲間の一人が、一体L・L・Dといふのは何の学位だらうと云ひ出した時、誰も知らなかつた。誰いふとなく、『恐らく総長学だらう』といふことに一決したが、蓋し帝国大学総長といふタイトルと浜尾新といふ名前位ぴつたりと来る感じは滅多にあるものではない。
先生は尽忠の君子であつた。東大の陸上運動会や短艇競漕や剣道、柔道の大会の折には、いつも先生が天皇陛下の万歳を三唱して会を閉づるのが吉例になつてゐた。而も万歳の声が先生の肚の底から発せられる時、僕等学生は厳かにして且つ朗かな気分になつて、心から先生の音頭に和して高らかに万歳を唱へ、日本帝国の学生たる幸福を満喫したのである。
先生は罕に見る訥弁であつた。巧言令色には凡そ無縁の仁者であつた。而も先生の演説の拙さ加減が世の常の雄弁にもまして敬愛されてゐたのだから愈[#挿絵]貴かつた。嘗て青山胤通博士が先生の演説を聴きながら、会心の笑を漏らして、『あの拙さが何とも言へない――。…