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我が一九二二年
わがせんきゅうひゃくにじゅうにねん
作品ID56872
副題02 我が一九二二年
02 わがせんきゅうひゃくにじゅうにねん
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 42 佐藤春夫集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月25日
初出秋刀魚の歌「人間 第三巻第一一月号」1921(大正10)年11月1日発行<br> 秋衣の歌「中央公論 第三七年第一一号」1922(大正11)年10月1日発行<br> 憂たてさ「新潮 第三七巻第二号」1922(大正11)年8月1日発行<br> 浴泉消息「明星 第二巻第四号」1922(大正11)年9月1日発行<br> 或る人に「東京朝日新聞」1923(大正12)年1月3日発行<br> つみ草「蜘蛛 第三第五号」1921(大正10)年8月10日発行<br> 別離「明星 第二巻第六号」1922(大正11)年11月1日発行<br> 龍膽花「明星 第二巻第六号」1922(大正11)年11月1日発行
入力者阿部哲也
校正者noriko saito
公開 / 更新2016-05-06 / 2016-03-04
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 私達の友人は既に、彼の本性にかなはない総ての物を脱ぎ棄て、すべての物を斥けた。そして彼自らの手で紡ぎ、織り、裁ち、縫ひ上げたところの、彼の肉体以上にさへ彼らしい軽羅をのみ纏ふて今、彼一人の爽かな径を行つてゐる。
 他の何人に対してよりも、自分自身に対して最善の批評家であるところの彼は、つねにただ、彼の子供として恥しくない子供だけを生み、より恥しくない子供だけを育て上げてゐる。彼のと異つた芸術を要求することは固より許されよう。彼のにまさつて完全なる(或は完全に近い)芸術といふものは、たやすく現代の世界に見出されないであらう。
 彼の芸術は、詩に於て最も彼らしきところを、最も完全なるところを示してゐる。
 今の詩壇に対する彼の詩は、余りにも渾然たるが故に古典的時代錯誤であり、余りにも溌溂たるが故に未来派的時代錯誤であることを免れない。
 嗚呼、この心憎き、羨望すべき時代錯誤よ。時代錯誤の麟鳳よ。永久に詩人的なるものよ。
『永久に詩人的なるもの』私達の友人よ、ねがはくは彼によりて、彼を取りまける総ての者が、詩の天上にまで引きあげられて行くことを。
一九二三年一月十四日
生田長江


月をわび身を佗びつたなきをわびてわぶとこたへんとすれど問ふ人もなし。
芭蕉翁尺牘より
[#改段]


秋刀魚の歌



あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
(大正十年十月)


秋衣の歌



その一

去年立秋ののち旬余の或る日、机に凭りて「情史」を繙き偶々巻二十四を開きしになかに洞庭劉氏といふ一項あり、
「洞庭劉氏 其夫葉正甫 久客都門 因寄衣而侑以詩曰、情同牛女隔天河 又喜秋来得一過 歳歳寄郎身上服 糸糸是妾手中梭 剪声自覚如腸断 線脚那能抵涙多 長短只依先去様 不知肥痩近如何。」
これに比ぶれば謝恵連が擣…

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