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蘆刈
あしかり
作品ID56875
著者谷崎 潤一郎
文字遣い新字新仮名
底本 「吉野葛・蘆刈」 岩波文庫、岩波書店
1950(昭和25)年8月30日
初出「改造」改造社、1932(昭和7)年11月号、12月号
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2016-02-25 / 2016-01-01
長さの目安約 78 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

君なくてあしかりけりと思ふにも
   いとゞ難波のうらはすみうき

 まだおかもとに住んでいたじぶんのあるとしの九月のことであった。あまり天気のいい日だったので、ゆうこく、といっても三時すこし過ぎたころからふとおもいたってそこらを歩いて来たくなった。遠はしりをするには時間がおそいし近いところはたいがい知ってしまったしどこぞ二、三時間で行ってこられる恰好な散策地でわれもひともちょっと考えつかないようなわすれられた場所はないものかとしあんしたすえにいつからかいちど水無瀬の宮へ行ってみようと思いながらついおりがなくてすごしていたことにこころづいた。その水無瀬の宮というのは『増かがみ』の「おどろのした」に、「鳥羽殿白河殿なども修理せさせ給ひて常にわたりすませ給へど猶又水無瀬といふ所にえもいはずおもしろき院づくりしてしば/\通ひおはしましつゝ春秋の花もみぢにつけても御心ゆくかぎり世をひゞかしてあそびをのみぞしたまふ。所がらもはる/″\と川にのぞめる眺望いとおもしろくなむ。元久の頃詩に歌をあはせられしにもとりわきてこそは
見わたせば山もとかすむみなせ川
   ゆふべは秋となにおもひけむ
かやぶきの廊渡殿などはる/″\と艶にをかしうせさせ給へり。御前の山より滝おとされたる石のたゞずまひ苔ふかきみ山木に枝さしかはしたる庭の小松もげに/\千世をこめたるかすみのほらなり。前栽つくろはせ給へる頃人々あまた召して御遊などありける後定家の中納言いまだ下[#挿絵]なりける時に奉られける
ありへけむもとの千年にふりもせで
   わがきみちぎるみねのわかまつ
君が代にせきいるゝ庭をゆく水の
   いはこすかずは千世も見えけり
かくて院のうへはともすれば水無瀬殿にのみ渡らせ給ひて琴笛の音につけ花もみぢのをり/\にふれてよろづの遊びわざをのみ尽しつゝ御心ゆくさまにて過させ給ふ」という記事の出ている後鳥羽院の離宮があった旧蹟のことなのである。むかしわたしは始めて『増鏡』を読んだときからこの水無瀬のみやのことがいつもあたまの中にあった。見わたせばやまもとかすむ水無瀬川ゆふべは秋となにおもひけむ、わたしは院のこの御歌がすきであった。あの「霧に漕ぎ入るあまのつり舟」という明石の浦の御歌や「われこそは新島守よ」という隠岐のしまの御歌などいんのおよみになったものにはどれもこれもこころをひかれて記憶にとどまっているのが多いがわけてこの御うたを読むと、みなせがわの川上をみわたしたけしきのさまがあわれにもまたあたたかみのあるなつかしいもののようにうかんでくる。それでいて関西の地理に通じないころは何処か京都の郊外であるらしくかんがえながらはっきりところをつきとめようという気もなかったのであるがその御殿の遺跡は山城と摂津のくにざかいにちかい山崎の駅から十何丁かの淀川のへりにあって今もそのあとに後鳥羽院を祭った神社が…

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