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作品ID56877
著者石塚 浩之
文字遣い新字新仮名
底本 「三田文学 第七十五巻 第四十四号 冬季号」 三田文学会
1996(平成8)年2月1日
入力者大久保ゆう
校正者石塚浩之
公開 / 更新2016-05-16 / 2016-04-22
長さの目安約 56 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 このごろくり返し見る夢がある。数ミリずつじわじわと体を切り刻まれていく夢だ。



 ぼくには生活がない。しなければならないことも、したいこともなにもない。ただ毎日を死んでいるみたいに生きている。生活というのは一種の保護膜のようなものだ。それが身を守るためにこれほど有用なものだったとは、失ってみるまで気づかなかった。保護膜を失い生活圏の外の世界に直接出ることは成層圏の外に出て太陽を肉眼でみる以上に危険なことだ。この世界の光は直射日光よりもまぶしく、紫外線よりも毒性が高い。なにかの拍子に炎天下の地上に出てしまったミミズの運命。自分の身に何が起きたのかも理解できず、不意の光線を逃れるすべもなく、ただ灼熱のアスファルトの上をのたうちまわるしかないのである。
 どこでどう間違えてこんなことになってしまったのか。誰かがぼくに強制したわけではない。ぼくはいつも自分自身で選択してきた。それは確かなことだ。けれども今の状況がぼくの望んでいたものだったのだろうか。大学を卒業したあと職に就かなかった。それだけのことだ。あのときは他にしたいことがあったのだ。しかし今ではもう自分がなにをしたかったのかさえ忘れてしまった。ありもしない未来に形のない希望を感じていたころが遠い昔のことのような気がする。追い求めていた夢がガスのように消えてしまうものでしかなかったのなら、もともと大した動機など持っていなかったのだろう。そういわれたとしても仕方のないことだ。
 ぼくは一体何に夢中になっていたのか。きっとそれは死ぬまで見続けなければならない夢だったのだ。その夢から目を覚ますことになった一番の原因は自分自身の弱さだったとわかっている。でも眠りが浅くなった一瞬につい夢から目を覚ましてしまったのは、君のせいでもあるんだよ。ひとりで生きていくことのむなしさをぼくに教え、一緒に暮らすことが唯一の正しい生き方のように思わせたのは君だったはずだ。その君がいなくなってしまい、ぼくは途方に暮れている。もっともぼくがこんな状態になってしまったのと、君があっさりと他の男と暮らすようになったのとはどちらが先だったのか、今となっては思い出せない。
 一体ぼくがなにを失ったというのだ。君と出会う前に戻っただけではないか。住む場所に不自由しているわけでもない。ぼくが小学生のころ両親が建てた二階建ての家。彼らはここには住んでいない。夫婦で海外に暮らしている。衣食にも全く不自由しない。向こうでは円も必要ないから、こちらでの財産はすべてぼくが管理している。管理というと聞こえはいいが、実際は勝手に使って少しずつ喰いつぶしているだけだ。毎日を過ごす上でぼくに不足しているものはなにもない。むしろ必要以上に満たされている。
 そもそもぼくに失うものなんてあったのだろうか。君がいなくなって初めて、ぼくはもともとひとりだったことに気づい…

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