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桃太郎
ももたろう |
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作品ID | 56878 |
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著者 | 石塚 浩之 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「三田文学 第七十七巻 第五十三号 春季号」 三田文学会 1998(平成10)年5月1日 |
入力者 | 大久保ゆう |
校正者 | 石塚浩之 |
公開 / 更新 | 2016-01-02 / 2015-12-24 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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沖に出てから三日になる。
もちろんときおり名前の分からぬ海鳥が飛んできたりもするが、それとてもほとんど蠅と見間違えたとしても不思議はあらぬような、色彩を失った点として、薄い雲で覆われた曖昧な空模様をなめらかな曲線で区切って移動していくのみであり、お互いの姿を確認しつつも気づかぬようなふりをしながら相手の様子をうかがうといった気晴らしのひとときを過ごせるほどにまで近づいてくるわけでもない。ましてやしばしの休憩のため、あるいはあわよくば水なり餌なりを恵んでもらえることを期待して舳先に留まったりする気配などは全く見せずに、灰色の空になめらかな弧を描いている様子は、むしろその背後に残るひたすら退屈な風景の退屈さを際だてんがために旋回しているかのようだ。実際には手を伸ばせば届くくらいの高さを飛んでいる蠅かもしれぬ色彩を失った点を、蠅ではなく頭上はるかな高さを飛んでいる海鳥なのであると確信させるものは、移動する灰色の点が描く軌跡の独特のなめらかさに結びついている海鳥の飛び方の記憶と、その運動に注意を向ける目が感じる遠さの感覚に加えて、なによりもいたずらに鬼気迫った鳴き声なのである。二羽か三羽が鋭く乾いた絶叫を交わしながら飛び去ったあとには、休むことなく鳴り響いていたはずなのにもはや意識しなくなっていた低い海鳴りが鼓膜を震わせ続けていたことに今さらのように気づき、目を閉じてみるとその通底基音のなかから、小さな波が船の腹で砕ける無邪気な音が浮かび上がってくる。空と海の境目を示す単調な直線を舳先が左右に分割する構図にもなんの変化もなく、ただ自分が腰を下ろしている粗末な木の椅子が、海面の起伏をなぞって、まだ新しい船に特有の木と油の匂いがとれぬ甲板ごとゆったりと上下に揺れるのを胃のなかで感じながら、見渡すかぎりのさざ波の連なりに漠然とした視線を泳がせるうちに、この船が正確に目的地に向かっているのかどうかさえ疑わしく思えてくる。そのような疑いが胸のなかに浮かんでくるときにはきまって、疑いを抱いてしまったおのれに対する罪悪感がわき起こり、罪悪感の喚起する虚勢が、疑いも罪悪感もまとめてぬぐい去ってしまおうとするのは、自分に期待しているのがあばら屋で待つ年老いた育ての親ばかりではなく、貧しい村人がなけなしの蓄えを出し合ってこの小舟を用意してくれたのだから、たとえいかなる困難があろうとも退屈な光景の先にあるはずの鬼ヶ島にたどり着き、未だ目にしたこともない鬼たちと戦い、なんとしても勝利し、金銀財宝を村に持ち帰らねばならぬという使命感ゆえなのだ。
なにを考え込んでおられるのですか。という猿の声があまりにも唐突に感じられたために、ついまるで臆病な草食動物のように体を震わせてしまったことが悔やまれ、腹いせに不必要なほどに殺気をたたえた目つきで猿のことをにらみつけてやる。猿はなにやら機嫌を損ね…