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右門捕物帖
うもんとりものちょう |
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作品ID | 569 |
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副題 | 17 へび使い小町 17 へびつかいこまち |
著者 | 佐々木 味津三 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「右門捕物帖(二)」 春陽文庫、春陽堂書店 1982(昭和57)年9月15日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | M.A Hasegawa |
公開 / 更新 | 2000-04-22 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 46 ページ(500字/頁で計算) |
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――ひきつづき第十七番てがらに移ります。
前回の七化け騒動がそもそも端を発しましたところは品川でしたが、今回はその反対の両国河岸。しかも、事件の勃発した日がまたえりにえって七月の七日。七日と申しますと、だれしも想起するものは今も昔ながらに伝わっているあのたなばた祭りです。土地土地、国々の風俗習慣によって、同じたなばた祭りもその祭り方に多少の相違があるようですが、この当時、すなわち徳川お三代ごろの江戸上流階級において、すこぶる盛んに用いられた方法は、王朝ながらの優雅をそのまま伝えたたんざく流し――俗にたなばた流しと称する催しでした。もっとも、こののち万治元年に至りまして花火がくふうされ、さらに享保十八年に至りまして、今もなお盛大に行なわれているあの川開きが催されるようになりましてからは、めめしい貴族的なたなばた流しよりも、むやみとパンパンはぜる花火のほうが江戸っ子の唐竹気性にずっとかないましたものか、年一年と花火にお株を奪われまして、ただいまではまったくその面影すらもとどめていないようですが、名人右門存生の当時は、すこぶるこのたんざく流しが隆盛をきわめたもので、夏場の両国河岸を色どる唯一の催し物でした。文字からしてたんざく流しというくらいですから、むろん、たんざくを流すのが遊びの眼目ですが、しかしその流すたんざくなるものが尋常普通の品ではないので、仙骨を帯びだしたご老体は風流韻事の感懐を託したみそひと文字、血のけの多いあで人たちはいわずと知れた恋歌。お時世がお時世ですから、むろんのことに歌の一つもよもうというほどの者は、いずれもみな上つ方ばかりです。したがって、座用の舟なぞも金には糸めをつけぬぜいたくな屋形船で、おあつらえどおりに涼しげなすだれを囲い、みやびたぼんぼりの灯ざしがちらちらと川風にゆらめく陰で付き添いのお腰元が蒔絵硯を介添え申し上げると、深窓玉なす佳人がぽっとほおを染めながら、紅筆とって恋歌を書きしたためる。そのたんざくを葉笹に結わいつけてあかり燈籠を添えながら水に流してやると、二、三町下った川下に前髪立ちの振りそで若衆が待ち構えていて、われ先にと拾いあげる、それから舟を上へこがして、拾った恋歌を目あてに、思いのたけをこめた返歌を流して贈る――一口にいうとただそれだけの遊びですが、これにたずさわる人々が、粒よりの風流人ばかりですので、優雅も優雅なら、情趣ふぜいの夏らしい点からいっても、なかなか評判とった催し物でした。
ことに、七日の宵がまたうってつけのたなばた晴れで、加うるに式部小町とあだ名をされた上野山下の国学者神宮清臣先生の愛女琴女が、その夜のたんざく流しに三国一の花婿選みをするという評判でしたから、物見高いはいつの世も同じ江戸っ子のつねです。たなばた流しのなにものであることすらもわからない無風流人までが、涼みがてらと小町…