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「土」に就て
「つち」について
作品ID56900
著者夏目 漱石
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節名作選 一」 春陽堂書店
1987(昭和62)年8月20日
入力者町野修三
校正者小林繁雄
公開 / 更新2004-12-05 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。さうして其責任者は余であつた。所が不幸にも余は「土」の完結を見ないうちに病氣に罹つて、新聞を手にする自由を失つたぎり、又「土」の作者を思ひ出す機會を有たなかつた。
 當初五六十囘の豫定であつた「土」は、同時に意外の長篇として發達してゐた。途中で話の緒口を忘れた余は、再びそれを取り上げて、矢鱈な區切から改めて讀み出す勇氣を鼓舞しにくかつたので、つい夫限に打ち遣つたやうなものゝ、腹のなかでは私かに作者の根氣と精力に驚ろいてゐた。「土」は何でも百五六十囘に至つて漸く結末に達したのである。
 冷淡な世間と多忙な余は其後久しく「土」の事を忘れてゐた。所がある時此間亡くなつた池邊君に會つて偶然話頭が小説に及んだ折、池邊君は何故「土」は出版にならないのだらうと云つて、大分長塚君の作を褒めてゐた。池邊君は其當時「朝日」の主筆だつたので「土」は始から仕舞迄眼を通したのである。其上池邊君は自分で文學を知らないと云ひながら、其實摯實な批評眼をもつて「土」を根氣よく讀み通したのである。余は出版界の不景氣のために「土」の單行本が出る時機がまだ來ないのだらうと答へて置いた。其時心のうちでは、隨分「土」に比べると詰らないものも公けにされる今日だから、出來るなら何時か書物に纏めて置いたら作者の爲に好からうと思つたが、不親切な余は其日が過ぎると、又「土」の事を丸で忘れて仕舞つた。
 すると此春になつて長塚君が突然尋ねて來て、漸く本屋が「土」を引受ける事になつたから、序を書いて呉れまいかといふ依頼である。余は其時自分の小説を毎日一囘づゝ書いてゐたので、「土」を讀み返す暇がなかつた。已を得ず自分の仕事が濟む迄待つてくれと答へた。すると長塚君は池邊君の序も欲しいから序でに紹介して貰ひたいと云ふので、余はすぐ承知した。余の名刺を持つて「土」の作者が池邊君の玄關に立つたのは、池邊君の母堂が死んで丁度三十五日に相當する日とかで、長塚君はたゞ立ちながら用事丈を頼んで歸つたさうであるが、それから三日して肝心の池邊君も突然亡くなつて仕舞つたから、同君の序はとう/\手に入らなかつたのである。
 余は「彼岸過迄」を片付けるや否や前約を踏んで「土」の校正刷を讀み出した。思つたよりも長篇なので、前後半日と中一日を丸潰しにして漸く業を卒へて考へて見ると、中々骨の折れた作物である。余は元來が安價な人間であるから、大抵の人のものを見ると、すぐ感心したがる癖があるが、此「土」に於ても全くさうであつた。先づ何よりも先に、是は到底余に書けるものでないと思つた。次に今の文壇で長塚君を除いたら誰が書けるだらうと物色して見た。すると矢張誰にも書けさうにないといふ結論に達した。
 尤も誰にも書けないと云ふのは、文を遣る技倆の點や、人間を活躍させる天賦の力を指すのではない。もし夫れ丈の…

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