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ヨブ記講演
ヨブきこうえん |
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作品ID | 56908 |
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著者 | 内村 鑑三 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「ヨブ記講演」 岩波文庫、岩波書店 2014(平成26)年5月16日 |
初出 | 丸の内の大日本私立衛生会館における内村聖書研究会においてのヨブ記講義、1920(大正9)年4月25日~6月27日、9月12日~10月10日、10月24日、11月21日、12月19日 |
入力者 | 浅野幸三19481201 |
校正者 | 酒井和郎 |
公開 / 更新 | 2018-03-28 / 2018-03-10 |
長さの目安 | 約 188 ページ(500字/頁で計算) |
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第一講 ヨブ記はいかなる書であるか
◯ヨブ記の発端は一章、二章にして、十九章がその絶頂たり、それより下りて四十二章を以て終尾となす。しかしこの四つの章を読みしのみにては足らず、その間に挟まる各章を読むは、あたかも昇路及び降路において金銀宝玉を拾うが如くである。故に四十二章全部を心に留めねばならぬのである。
◯注意すべきはヨブ記の聖書における位置である。すべて聖書中に収めらるる各書の位置を知るは、その書の研究上大切なる事である。まず新約聖書を見るに、マタイ伝より使徒行伝までは「歴史」、最後の黙示録は「預言」にして、その間に挿まる使徒らの書翰は「霊的実験の提唱」ともいうべく、「教理の解明」とも称すべく、または簡単に「教訓」とも名くべきである。歴史と預言は教会及び人類の外部の状態に関し、教訓は個人の内界に関するもの、外より教えまた内より教うるのである。そしてこの事は旧約聖書においても同様である。その三十九書中、初の十七書は歴史、終の十七書は預言、そしてその間の五書すなわちヨブ記、詩篇、箴言、伝道之書、雅歌は心霊的教訓である。そしてヨブ記がこの教訓部の劈頭第一に位するに注意せよ。そもそも創世記を以て始まりし歴史は、イスラエルを通して伝えられし神の啓示を載するものである。しかしてそれが最後のエステル書を以て終るや、ここにヨブ記を以て一個人の心霊を以てする啓示が伝えられたのである。ここに新なる黙示が伝えられたのである。神の教示が全く別の道を取るに至ったのである。すなわち個人の実験を通して聖意がこの世に臨んだのである。「歴史」と「預言」とは過去と未来における国民または人類の外的表現に依りて伝うるもの、これに対して「教訓」は神と霊魂との直接関係そのままの提示である。
◯神は外より探り得べし、また内より悟り得べし。神を歴史において見、従って神の教を国民的、社会的、政治的に見るも一の見方である。されどこれのみに止まる時は浅薄に陥りやすい。これを個人心霊の堅き実験上に据えて、初てその真相を穿ち得るのである。かかる実験の人が集まる処、おのずから外部的に神の国は成立するのである、そして史的勢力となるのである。我らはわが内界に不抜の確信を豊強なる実験の上に築き、そしてまた同時にその外的表現に留意すべきである。外にのみ走りて浅薄になる虞あると共に、内にのみ潜みて狭隘となる嫌がある。いずれにせよ、旧約聖書においてこの個人的沈潜の深みを伝えし第一がヨブ記であることは、忘るべからざる点である。
◯ヨブ記を心霊の実験記と見る上において注意すべきは巻頭第一の語である。「ウズの地にヨブと名くる人あり」と記さる。ウズとは異邦の地である。実に旧約聖書はその歴史部を終えて教訓部に入るや、劈頭第一に異邦の地名を掲げ、異邦人ヨブの実験を語らんとするのである。これ真に今人の驚異に値することである。ウズの地と…