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白南風
しらはえ |
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作品ID | 56910 |
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著者 | 北原 白秋 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「白秋全集 10」 岩波書店 1986(昭和61)年4月7日 |
入力者 | 光森裕樹 |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2015-01-25 / 2014-12-15 |
長さの目安 | 約 101 ページ(500字/頁で計算) |
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[#挿絵]
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序
白南風は送梅の風なり。白光にして雲霧昂騰し、時によりて些か小雨を雑ゆ。鬱すれども而も既に輝き、陰湿漸くに霽れて、愈[#挿絵]に孟夏の青空を望む。その薫蒸するところ暑く、その蕩揺するところ、日に新にして流る。かの白栄と言ひ、白映と作すところのもの是也。蓋し又、此の白映の候に中りて、茲に我が歌興の煙霞と籠るところ多きを以て、採つて題名とす。もとより本集の歌品秋冬に尠く、春夏に多きもその故なり。
我が短歌に念持するところのもの、即ち古来の定型にして、他奇なし。ただ僅かに我が歌調を這箇の中に築かむとするのみ。その自然の観照に於ては、必ずしも名山大沢に之を索めず、居に従ひて選ぶ平々凡々の四囲に過ぎず。又、その生活感情の本とするところに於て、あながちに一時の世相に関せず、社会機構とも強ひて連工する無し。而も又、孤高を潔しとし、流行を斥くるにもあらず。ただ専ら短歌を短歌とし、自然を自然とし、我を亦我とするのみ。本分は我自ら知るべきなり。
惟ふに風騒いやしくもすべからず。かの光明に参じ、虚実交[#挿絵]にして荘厳の秘密を識る、畢竟は此の我を観、我を識るなり。一なる生命の根源に貫徹すべきのみ。乃ち、心地清明にして万象おのづからに透映し、品格整斉して気韻おのづからに生動せむ。純情にして簡朴なる、幽玄にして富贍なる、情意臻つて詞華之に順じ、境涯極に入つて象徴の香気一に鐘る。一首は遂に一首にして亦生死の道なり。質実にして強靱ならされば得べからず。
又、惟ふに、神工にして成るものは稀なり。我が如きは、ただに玄微に玄微を捜ね、一音に一音を積み、而も鈍根にして未だ全く達するところを知らず。ただ好むところに殉じ、時に随ひて行ふのみ。苦楽もと一なり。霊感は安易にして俟つべきにあらず。ただ日常にありて忘れざるべきを思ふ。精錬の道にして、初めて成就すべき業ならむか。恭謙ならざれば到り難し。
『白南風』一巻、もとより屑々の歌集にして、何らの気に負ふべきものなし。日光・月色・風塵・草卉・魚・鳥の諸相、季節と生活、単にただ一々の歌品を以て、偶ま同好にして渾厚の士の清鑒に供へむとするのみ。言説すべきにあらず。
昭和九年四月
砧村の雲と鉄塔の下にて
白秋識
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天王寺墓畔吟
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大正十五年の、谷中天王寺墓畔に於ける生活に由る。新旧作合せて、短歌二百五拾弐首、長歌一篇。墓畔吟なれども必ずしも哀傷せず、世は楽しければなり。
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[#挿絵]・朴はひらく
新居
移り来てまだ住みつかず白藤のこの垂り房もみじかかりけり
厨戸のとのもの小米花闌けにけり衣干したり子らがさごろも
春昼
春まひる真正面の塔の照りしらむ廻縁高うしてしづ…