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託児所をつくれ
たくじしょをつくれ |
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作品ID | 56920 |
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著者 | 小熊 秀雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「新版・小熊秀雄全集第一巻」 創樹社 1990(平成2)年11月15日 |
初出 | 「槐」1939(昭和14)年5月 |
入力者 | 八巻美恵 |
校正者 | 浜野智 |
公開 / 更新 | 1999-06-18 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 37 ページ(500字/頁で計算) |
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一
この長詩を書くための材料に
本棚を熱心にかきまはしたが
探す本は発見らない
黒表紙で五十頁余りの
吉田りん子といふ詩人の
『酒場の窓』といふ詩集だ、
捨て難いものがあつて
時々本棚の整理で本を売り飛ばす時も
傍に除けてをくのだから
何処かにまぎれ込んでゐるに相違ない
私は彼女を『奇蹟の女王』と名づけてゐる。
二
彼女が突然詩人のグループに現はれると
詩人達が彼女の周囲に集つた。
布切れの真中をつまみあげると
布の周囲が寄つてくるやうに――、
詩人は女好きだとは頭から決められない
詩人は女に対しては相当選り好みがやかましいのだ、
一個所欠点があると
その一個所を蛇蝎のやうに憎む詩人やら、
他人が欠点と見るところも
勝手に美化し合理化し拝み奉る詩人もある。
三
――何てすばらしい縮れ毛だ
彼女の髪をみてゐると
荒れ果てた庭を見るやうだ、
何となく寂寥と哀愁が湧いてくる。
さういふ理由で縮れ毛の女も愛される、
――僕は、彼女を直感的に好きになつたよ、
皮膚の色が普通の状態ぢやないね、
あくまで白く、透明だ、
陶器の白さではない、
玻璃器の白さだね
つまり肺の悪い女の美しさが
僕の心を一番捉へるよ、
こゝでは肺の悪い女性も歓迎される、
四
――私の異常な美を発見する女といふのは
妊娠三四ケ月目の女だ
彼女の細胞が新しく変つてゆく感じだ、
皮膚の色の美しさ、
喘いでゐる呼吸が
女を感情的に見せる。
詩人は電車の中で
異常な美しさの女をみつけた
女の顔に注いだ視線を
胸元から腹部に落す
彼女の帯は蕗のトウを抱へてゐるやうに
ふつくらとふくれてゐた
妊娠も詩人にとつては美しい。
五
ところで女詩人吉田りん子は
どの種類の美しさの所有者であつたか
特別これといつて変哲もない
小柄な体、脚を活発にはこぶ女
小さな頭、黒い顔、二十二歳にしては
落着いたもの言ひ、
小説家の林芙美子を近代的にして
彼女から卑俗さをぬきとつた、
脱脂乳のやうな淡白な甘みをもつた女、
適宜に男に向つて性慾的な
容子をすることも知つてゐる。
六
すぱりと男のやうな決定的なもの言ひ
それで何の悪意も感じられない、
男に対してはいつも批判的態度を失はぬ
彼女はこれが唯一の武器だ
女に負けることを
楽しみにしてゐる男にとつては
彼女は女将軍で
男達はしきりに彼女の従卒になりたがる、
なんて気の利いた断髪の刈りやうだらう
断崖のやうでなく
柔らかな草の丘の斜面のやうに、
彼女はなだらかに刈りこんでゐる。
七
実は私も彼女が嫌ひではない
もつと正確に言へば、
嫌ひな部類に属する女性ではない
しかし私は少しばかり時間が遅れたやうだ、
切符売場にはずらりと
男達の列がならぶとき
列の後で私は待つてゐる根気がない、
彼女を中心にして
座席争ひで男達は戦はねばなる…