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静安寺の碑文
せいあんじのひぶん
作品ID56935
著者横光 利一
文字遣い新字新仮名
底本 「欧洲紀行」 講談社文芸文庫、講談社
2006(平成18)年12月10日
入力者酒井裕二
校正者岡村和彦
公開 / 更新2015-09-24 / 2015-05-25
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 静安寺の境内は名高い外人墓地である。大きなプラターヌの鬱蒼としている下に墓石が一面に並んでいる。綿のようなプラターヌの花が絶えず舞い落ちて来て、森閑と静ったあたりに動くものは、辷る大理石の墓石の面をようやく這いのぼった玉虫の、ばさりと落ちる音だけである。私は異国からはるばるとここへ来て死んだ人々の名を読み、それらの悲しい碑文を幾つも書き写したことがある。
Our life and our joy who only spoke and lived to fill our hearts with bless.
 南京路を真直ぐに同文書院の方へ行った郊外近くにある寺だ。私は黄包車に乗って一人行ったのであるが、車夫を門前に待たせて墓石の文を写せるだけ書きとっていってみた。どの文章にも残った人の悲しみと追慕の情が、短い文のリズムと句意に溢れていて名文をなしている。
A precious one from us has gone. A voice we loved is stilled. A place is vacantly in our home which never can be filled. Faithful and true till death.

 さまざまな形の墓の間にプラターヌの花が積っていて、この寺の境内の美しさと静けさは上海第一と云われている。墓場が名所となるのも街に伝統のない明るさであるが、外人の墓地というものは、死後までわれわれに人工の世界を感じさせる。薔薇の花のまだ萎れぬ間を、白砂を敷きつめた径が方形に通っていて、僧服を着た宣教師の静に歩くひまにも、ばさりばさりと響く音は、大理石の面から辷り落ちて来る玉虫の甲の音である。
To know him was to love him. Since thou best called me blessing what most I prized, it neer was mine I only yield thee what is thine.

 墓碑を読んでいると、静な石の中から生き残ったものの天上に向って呼ぶ声が、あちらからもこちらからも聞えて来る。日本人の墓石は戒名だけだが、外人のは呼び合うような声ばかりだ。あきらめて徊遊するペアギントの歌は、まことにこの墓地の爽やかな旅情である。小鳥がしきりに啼きつづける。大樹の幹の並んだ奥に蔦の絡んだ会堂があって、十字架の厚い木彫を浮べた扉をぴたりと閉めたまま、訪ねる人もない。晩春の午後で薔薇ばかり咲き誇った花壇の中を、喪服に包まれたイギリスの婦人が二人、手に花束を持って歩いて来たばかりである。
Time may heal the broken heart. Time may make the wound less sore. But time can…

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