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![]() われらとにほん |
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作品ID | 56937 |
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著者 | 横光 利一 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「欧洲紀行」 講談社文芸文庫、講談社 2006(平成18)年12月10日 |
入力者 | 酒井裕二 |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2015-09-24 / 2015-05-25 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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本日は、われわれ日本人の多くのものが、長く敬愛して来ましたこの、フランスに於ける、最も高い精神生活を代表せられる皆さん方に接し得られました事は、深く私の光栄とする所であります。
われわれ日本人は、ここ五十年の間、フランスから優れた物的、精神的なもろもろの智的方法を学びました。しかし、その技術的操作が常にある一点の飽和点に達するとき、不思議に、フランスの理智に対して、沈黙を守らなければならなくなるのであります。そうして、この沈黙の間に、フランスに代って、漸次にわれわれの精神に侵入して来たものは、ロシアの愛の精神でありました。
この作用の行われた歴史は、ここ三十年の間に、私の知り得られる限り、三度の繰り返しを行いました。最初は、ロシアからツルゲネーフ、トルストイ、ドストイエフスキイが這入って来ました。それにつづいて、フランスから、ゾラとフロオベルとモーパッサンとバルザックが這入って来た。このフランスの侵入が終るや、再びロシアから、トルストイ、ドストイエフスキイ、チェホフが復活して来ました。しかし、このロシア時代もまた過ぎたのであります。そうして、近ごろ、最も日本文学の胸中に浸み入ったのは、アンドレ・ジイド氏とプルーストと、ポール・ヴァレリイ氏とであります。日本では女中でさえも、ジイド氏の作品を探し求めて読むようになっています。私の入院していた病院の看護婦は、廊下を歩きながら、ポール・ヴァレリイ氏の話をしていたのを私は聞いたことさえあります。しかし、これら、ロシアとフランスの思想の交互移入の間に、絶えず黙々と続いている日本本来の伝統的文学は、あたかも、ポール・ヴァレリイ氏の、かの無の科学的探求を、無の詠歎に置き換えたがごとき思想と、美の追求とを以って、終始一貫、何らの主張を開始することなく、今に到ってもなお力強い呼吸をつづけております。
以上は日本文学と、フランス文学との関係の、大略でありますが、ここに、日本独特の伝統であるところの無の精神を了解せられる上に、自国民でさえ困難を感じるものが、一つあります。しかも、それはいかなる政治上の運動にも、いかなる生活の転換に於ても、また、いかなる他国の思想の移植のときに於ても、この不思議な、不明瞭な、しかも、無類に誠実な精神の活動が、影響してやみません。それは丁度、ヨーロッパの大戦後に於て、フランス国民の、なすべき行為の見失われたときに当り、プルーストが無の精神を以って、フランス精神の中央に、濛々と巨体を登場させた、あの必然的な文化現象が、当時何人にも理解せられなかったのと同様に、日本に於ても、国民の思考力が、自身の行動を見失うときに際して、常にこの無の精神が、地上に下る雲の如く、もろもろの観念の統一を行いつつ、しかもなお、今に至るまで、一般には了解され難い働きをする思想であります。いかなる国民の中にも、自国民の理解…