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スフィンクス(覚書)
スフィンクス(おぼえがき)
作品ID56938
著者横光 利一
文字遣い新字新仮名
底本 「欧洲紀行」 講談社文芸文庫、講談社
2006(平成18)年12月10日
入力者酒井裕二
校正者岡村和彦
公開 / 更新2015-09-06 / 2015-08-27
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 愛を言葉に出して表現するということは日本人には難しい。この表現の形式はむかしから内へ押し隠されて来たのが習慣だから、愛情を覚えると法がなくただもじもじとして羞らうだけだ。日本に愛を感じるか感じないかということも、答えは誰も同じとしても表現が難事である。よく世間にある父親のように自分の息子を可愛くないという顔つきだけ人前でしてみせて、内心そっと夜の夜中に反り返って寝ている不行儀な息子に蒲団をかけてやるように、日本という自分の国に対しても同様な場合が必ずしもないではない。
 殊に知識階級の中には、おれは日本を愛しているという顔つきは、人前だけではしたくないという羞しさが眼に見えてある。これが幾年となく続くと、後から来る青年が真面目にその表情を信じて、だんだん先輩の表情そのままを心の中に植えつけてしまい、心も顔と一つになって来たのである。これは困ったことになったと気がついて周章てた者と、いつの間にか自分もそのような青年と一つになり、あくまで人間的な内面の愛情という心理を押し隠そうと努めつつ、これこそ時代が進んだ証拠だと思うものと、また時として、人間の心理などというものが世界に利益を与えたことがあるものか、知性というこれこそ利益を与えるものだと確信をいだいた一群の者と、何事もただ科学科学という一手の押しで押しまくって来た者との対立が、このごろの紛々たる世情になって来た。しかし、考えればまたこの闇にいろいろな近代性の織り込まれていることも発見出来る。知性の改造という心理的な要求の叫ばれて来たのもこのあたりに理由があるのであろう。

 先日ある日曜日に子供を二人つれて動物園を見に行った。家内も行きたいと言ったが、今日だけは来てはいけないと言って私一人で出かけてみた。日曜日のこととて大人と子供で園内はごった返していたので、動物を見るどころの騒ぎではない。二人の子供が人垣の中をかい潜り、勝手に見たい動物の方へ別々に駈けて行くので、まるで私は子供の番に来たような結果になった。そこで私は長男の方に五十銭を握らせ、もしお前ははぐれて帰れなくなったら、そのお金で一人帰って来るようと言いきかせてから、次男だけの見張りに意を用いた。すると、それでようやく私も気楽になり、自分の神経の統制も取れて来た。一番危いものだけを守る工夫というものは、危くない者だけを自由にする方法以外にない。しかし、これは考えれば自分が気楽になりたいからだ。私は子供たちの見たいものを自由に見させてやるべきであったと思うが、それでは分裂という恐るべきことを予想する。不幸とは予想であるという心理学の定義も、不幸というものの限界をよく云いあてた言葉だと思う。今は実に予想ばかりが人々の脳中を引っ掻き廻している時期である。もしこの戦争に負けたなら、直ちに日本は勝った異国から武器製造の禁止にあうだろう。われわれの反抗する度に…

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