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創始期の詩壇
そうしきのしだん
作品ID56942
著者蒲原 有明
文字遣い旧字旧仮名
底本 「明治文學全集 58 土井晩翠 薄田泣菫 蒲原有明集」 筑摩書房
1967(昭和42)年4月15日
入力者岡山勝美
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-03-15 / 2016-01-12
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治十五年にかの有名な「新體詩抄」が刊行された。
 わたくしはまだ七歳の小兒であつて、宵の明星や光の強い星を木の間がくれにふと見つけ出して、世間の噂さの名殘をそのまゝに「西郷星」だと囃したてゝ、何となく寂しい思ひの底に胸のとどろきをおぼえた時代である。
 かゝる時代に於て、井上、矢田部、外山の諸博士の主唱と編纂とに成つた「新體詩抄」が誕生して、始めて詩の方面に新潮流を導いたといふのは、まことに興味もあり、また意義もあることである。
 新事象は一つの發見された星のやうなものである。人々が大なる變革によつて受けた心の激動を「西郷星」に仰いで見た不安と畏怖との念は漸く薄らいで、こゝに文學の天に新たなる詩歌の星がかゞやきそめた。それを囘想すると、わたくしの胸はわけもなく躍る。
 それから少し後になつて袖珍本「新體詩歌」(明治十九年版)が出た。この廉價本は恐らく僞版で、内容に雜駁の嫌ひはあるが、「新體詩抄」中の創作飜譯は悉く載せてある。わたくしたちの手に渡つたのはこの本である。わたくしはその當時、姉と二人で競つて、何がなしに集中の詩を暗誦してゐた。
 わたくしはその中でも異彩を放つ飜譯の詩を殊に好んだ。
山々かすみいりあひの
鐘はなりつゝ野の牛は
徐に歩み歸り行く……
 やがて羊の鈴が聞え、梟が月に訴ふるといふその詩のはじめの方の句が、今でも切れ切れながら口拍子に乘つて思はず吟じ出されることがある。これはグレイが數年刻苦の作として聞ゆる「墳上感懷の詩」である。このグレイの詩を後には「墓畔吟」と云つた。
 もつと艱しい詩がある。無理におぼえておいたのを歌ふ。
存ふべきか但し又、ながらふべきに非るか
ここが思案のしどころぞ、運命いかに拙きも
これに堪へるがますらをか……
 歌ふ聲が夜風の烈しさにとだえる。幼い頭にも、これが生死の岐れ目であるといふことが朧げながら判る。死は眠なり夢なり。いよいよそらおそろしい。これは言はずとも著るしきハムレツトの苦悶の獨白である。
 調子が急に勇壯になる。テニスンの「輕騎隊進撃の詩」に移つたからである。
 またどうかするに「自由の歌」を歌ふ。激越な字句が快心に聞える。これは小室屈山の作である。當時に於ける政治上要求の一面に新しい聲を與へたものとして迎へられたが、兎にも角にもこれは時代の聲であり、わが邦の埋れたマルセイエエズである。
 佛蘭西革命やルウソオの「民約篇」が絶東に及ぼした影響は存外烈しかつた。長髮の「自由」はその時代の最高感情であつた。もとより最高目的としてはわが國體や國情がそれを容るすべくも無かつたが、たまたま憲政の創立に相應の刺戟を與ふる役目をなし遂げたのである。
 憶ひ起すことがある。わたくしが小學を卒業した時、英語の讀本を賞典としてもらつた。その書はすでに所有してゐたので、そのわけを先生に斷つておいて、すぐ書肆に行つて別…

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