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人類の将来
じんるいのしょうらい
作品ID56954
著者丘 浅次郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代日本思想大系 9 丘浅次郎集」 筑摩書房
1974(昭和49)年9月20日
初出「人類の将来」中央公論、1910(明治43)年1月
入力者矢野重藤
校正者y_toku
公開 / 更新2015-11-18 / 2015-10-01
長さの目安約 41 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 何事に限らず未来を説くのは決して容易ではない。昔から「一寸先は暗」と云ふ通り、次の瞬間に如何なることが起るかは、前以て知ることの出来ぬが常である。多少学術上の根拠を有する天気予報でさへ当らぬことが多い故、世間からは当るも八卦、当らぬも八卦と同様に見做されて居る。されば今日の所では未来の予言は到底普通の人間には出来ぬことで、若し之を為し得る者があつたならば、其者は必ず人間以上の所謂予言者の類でなければならぬ如くに思はれて居る。
 然しながら、未来のこととても、総べてが全く予言の出来ぬもののみとは限らぬ。来年の暦に何月何日には日蝕が有つて、何時何分何秒に始まつて、何時何分何秒に終ると明記してあるが、それが必ず確に当る。今年現はれるハレー彗星なども幾十年も前から既に今年現はれるべきことが天文学者には知れてあつて、今後また何十何年目に再び現れ出ると云ふ事までが明かに解つて居る。他の方面に於て予言が総べて不可能なる如くに見ゆるに反し、天体に関してのみ斯く正確に予言の出来るのは何故であるかと云ふに、之は決して特別な秘密がある訳ではなく、たゞ既往に於ける天体の運動を正確に測定し、其の運動を支配する法則を探り求め、之を将来に当て嵌めて、予言するのみである。されば他のこととても、天文学で将来を推測するのと同一の方法によつて考へたならば、多少の予言の出来ぬことはない。我らが今此所に聊か人類の将来に就いて論ずるのは、決して予言者を以て自ら任ずる次第ではなく、単に天文学者が天体を観測し研究するのと同一の態度を取り、生物界の既往の変遷を調べ、それより生物各種の栄枯盛衰を支配する法則を探り求め、之を人類の場合に当て嵌めて、其の将来を推測しやうと試みたに過ぎぬ。天体の運動の簡単なるに反し、生物界に起る現象は極めて複雑であつて、到底数学的に計算は出来ぬから、時を指して予言することは素より出来ぬが、唯その進み行く方向と、終に達すべき終局点とだけは恐らく誤りなく推測し得るであらうと信ずる。
 之より先づ、人類が如何にして生存競争場裡に他の動物に打ち勝ち、今日見る如き優勢の位地を占め得るに至つたかを考へ、次に地質学上の各時代に全盛を極めた諸種の動物が、如何にして一時斯かる勢力を得るに至つたか、また何故それが遂に亡び失せたかを調べ、それ等を基として人類の将来に就いて我らの推測する所を順次述べて見やう。



 さて人類は他の動物に比して如何なる点が優つて居たので総べて他の動物に打ち勝つて、今日の位地を占め得るに至つたかと考へるに恐らく誰でも直に気の附くことであらうが、それは思考力、推理力の器官なる脳髄の発達せることと運転の自由自在なる手を有することとである。仮に人間の手に屈伸自在の指がなくて、其代りに馬や牛に見る如き蹄が着いてあつたと想像して、それでも人間が今日の位地まで達し得たであらう…

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