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従妹に
いとこに
作品ID56964
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
初出「青鞜 第四巻第三号」1914(大正3)年3月号
入力者酒井裕二
校正者Butami
公開 / 更新2020-05-23 / 2020-04-28
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今、私の頭の中で二つのものが縺れ合つて私をいろいろに迷はして居ります。
私は今まで斯うして幾度きみちやんに手紙を書きかけたか知れないのです。けれども私の書いたものが果して正当に何の誤もなくきみちやんに理解されるかどうかとそれを考へては、若しきみちやんに理解が出来なかつたときにはきみちやんの為めにもまた私の為にも大変不幸だと思はれますので止めました。けれども、どうしても書きたくてたまらないので。二つのものと云ふのは、その書きたいのと、書いて、もし悪い結果になるといけないと云ふ心配とを云つたのです。
 きみちやんにはね、姉さんがどう見えますか? 恐らくきみちやんには、私をいゝ人かわるい人かと聞かれたら、一寸答へに困るでせう? もしかしたらきみちやんは、姉さんはいけない人だと思つてゐるかもしれませんね、それにしてもなほ、いろ/\な疑問が沢山に私についてあるだらうと思ひます。その疑問は決して私自身ばかりでなくきみちやんにとつてもきつと大事なものかもしれません。屹度私がこれから書くことを読んで行くうちには思ひあたることがあるだらうと思ひます。
 私のやつたことに就いてきみちやんは皆はしらないのでせう? 叔母さんなんかの考へでは、私は本当に仕様のない堕落した我儘娘だとでも思つてお出でせう。私の今迄の行為を極く普通な、世間的に観れば誰にでもさうとしか思へないことは私自身にも分ります。けれども私にはまた私の理屈があるのです。そして私は、それを一番本当だと信じて居ります。何事によらずすべて人の考へと云ふものはその人自身より他の人には何にも分らないものだと思ひます。さうでせう? きみちやんが何か考へてゐるでせう、それをいくら他の人が考へて見た処できみちやんの考へてゐる本当のことは分らないものです。きみちやん一人ばかりが本当で後の人の考へは、当推量だとか臆測とか云ふものでそれは間違つてゐるのです。私の場合にそれをあてはめて見ますと私の父さんや母さんそれから、叔母さんたちやその他の人たちでもみんなその当推量をしててんでに怒つたり恨んだりしてゐるのです。で、きみちやんは矢張りその叔母さんの当推量で怒つたり悪口云つたりしてゐるのばかり聞いてゐるのでせう――併しそれにもかゝはらずきみちやんは矢張り私の事について冷淡ではないと私は思つてゐます。――或は私の独りきめできみちやんが読んだらふきだすかもしれないけれど――。だからいま私が私の本当の気持ちをきみちやんに聞いてもらふのです。そして、母さんたちの当推量と、私の本当の考へがどれだけ違つてゐるかをくらべるといふことは決して無駄ぢやないと私は信じてこれを書きます。
 先づ私が何時でも皆から浴びせられる言葉はわがまゝだと云ふこと、不孝者と云ふこの二つの言葉です。本当にさうだと私自身も思ひます。さうしてさう云ふ両親やその他の人たちの気持も私には…

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