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感想の断片
かんそうのだんぺん
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
初出「第三帝国 第三九号」1915(大正4)年5月5日
入力者酒井裕二
校正者Butami
公開 / 更新2020-05-23 / 2020-04-28
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は、いつも同じ事をばかり云つてゐると思ふ人があるかもしれない。けれども、私は何時までも、自分の考へてゐる最も重要なことについては、駄々つ子が物ねだりをするよりも、まだうるさいと思はれる位に、云ひたいと思つてゐる。私自身が既でにさうだが私たちの周囲のどの人もあんまりいそがし過ぎると私は思ふ。そして他人の云ふ事はおろか、自分の云つた事でさへ僅かな時間のたつた間に忘れて既でに次の自分の云つてゐる事に熱中してゐる。他人の云ふことを一々頭の中で翫味したりしてゐる人なんかはまあないといつてもいゝ位だと私は思ふ。それ故、私は是非とも受け入れて欲しいと思ふ程重要なことについては何時までも/\煩さいと怒鳴られる程続けたいと思つてゐる。
 当然通るべき道として私自身の通つて来た道をふりかへつて見るとき私は取りかへしの出来ない失策を沢山に持つてゐる。まだあぶなつかしい随分と通りにくい処も通つて来た。併し私がいまかうしていろ/\な事件のあつた過去をふり返るとき一番自分を導いて教へたものは私自身の内心の争闘である。一番自分にとつて苦痛であつたのもそれである。
 私が可なり楽な学校生活を終へて先づぶつかつたものは不法な周囲の圧迫に対する反抗であつた。それは誰にも、大抵同じ形式をもつて来る結婚であつた。私はそれをはね返した。併しそれは可なり煩さい情実がひし/\とからみついた面倒な結果をもたらした。私は数かぎりもない種々な詰責や束縛や嘲罵を受けた。併しあらゆるものに敵意を含んで見える中にゐる私は、それに対する反抗で一杯になつてゐた。偶に、肉親の者たちの感傷的な態度に反抗の機先を折られさうなこともあつた。けれどもより多くの真意をもつて自分を抱く愛人があつた。さうして切りぬけた時、私は立派な一つの仕事をなし遂げた気でゐた。私は他人の知らぬ多くの苦痛を自分一人で味はつた気でゐた。私は本当にえらい仕事をした気でゐた。併し今の私にはそれは何でもない事であつた。私はより多くのより深い苦痛を知らなければならなかつた。
 私が初めて、他人ばかりの中に交渉しはじめた時、私はやうやく自分と云ふものゝみぢめなのを見た。私は本当にひとりだ、と思つた時、私の心はひとりでに捨てゝ来た故郷の友達の上に吸ひよせられて行つた。私がいくら習俗を軽蔑して反抗で一杯になつたつて私の臆病な心はその反抗を他人に、かつて私が肉親の人たちに向つてしたやうに容易くは、向けることを肯んじなかつた。私の体中を人々に対する憎悪と反抗と侮蔑が渦を巻いて出口を見つけやうとあせつてゐる時でも私はその渦の出処を探さうとは容易にしなかつた。
 私は自分のそのふしぎな矛盾をぢつと見つめてゐた。そうして、その渦をしづめるよりも出すのが当然のことだといふことがはつきり私にわかつてゐた。私はその度びにいつも此度こそはと云ふ決心をした。けれどもそれが何時でも直…

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