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九州より
きゅうしゅうより
副題――生田花世氏に
――いくたはなよしに
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
初出「青鞜 第五巻第八号」1915(大正4)年9月号
入力者酒井裕二
校正者Butami
公開 / 更新2019-12-08 / 2019-11-25
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 生田さん、私たちは今回三百里ばかり都会からはなれて生活して居ります。
 私達のゐます処は九州の北西の海岸です。博多湾の中の一つの小さな入江になつてゐます。村はさびしい小さな村です。私たちは本当にいま東京から大変遠くはなれてゐるやうな気がしたり、それからまた、でもかうして原稿用紙に向つてペンを運んでゐますと矢張り東京にゐるのだと云ふやうな気もします。けれども矢張り遠いのです。お友だちのことなんか考へてゐますと夜分にも会へるやうな気もしますが一寸はどうしても会へないのです、あの窮屈な汽車の中に二昼夜も辛抱しなければならないのだと思ひますと、何だかあんまり遠すぎるのでがつかりします。一寸かへつて見ると云ふやうな自由がきかないのです。
 此処は私の生れ故郷なのです。けれども矢張り私たちにはこんな処にどうしても満足して呑気に住んではゐられません、かうやつて家にゐますと全で外からは何の刺戟も来ないのですもの。単調な青い空と海と松と山と、と云つたやうな風でせう。此処で生れた私でさへさうですから、良人などは都会に生れて何処にも住んだことのないと云つてもいゝ程の人ですからもう屹度つまらなくて仕方がないだらうと思つてゐます。それもこの附近はかなり景色がいゝのですしいろ/\な立派な偉大な自然に接触することが出来るのですからそんな処も歩いて見ると少しはまぎらされるのでせうがいろ/\な事でまだそれ程の余裕を種々な点で持ち得ませんので本当に気の毒です。私もこちらへ来ましてから半月にもなりますが、まだ本当におちついて物を考へることは勿論書くこともよむことも出来ないしまつです。あなたはどうしてお出になりますか、お忙しう御座いますか。
 私は東京にゐる間からかけづり歩いた疲れも旅のつかれも休めると云ふやうなゆつくりした折は少しもないのです。体はいくらか楽ですけれども種々な東京に残した仕事についての煩はしい心配や気苦労で少しも休むひまがなく心が忙しいのです。
 大分青鞜が廃刊になるとか云ふうはさも広がつたやうですが私はどんなことをしても廃刊になど決してしないつもりです。読者の間には随分心配なすつた方があるでせうけれど引きつぎの当時にお約束したやうに、どんな困難にあつても、たとひ三頁にならうと四頁にならうと青鞜だけは続けてゆくつもりです。兎角事あれかしと待ちかまへてゐる閑人の多い中ですから一々うはさをとり上げてゐては大変ですけれどあんまり馬鹿々々しく吹聴されるといやになつて仕舞ひます。
 今の処実際雑誌はもとよりも貧弱になつたのは申すまでもなく私もよく承知して居ります。けれども私はまた私の考へで正直な処を云はして貰へるなら、私はむしろいま世間でチヤホヤされてゐる立派な人々の原稿を頂いて読者の御機嫌をとつて雑誌を多く売ると云ふことよりも寧ろこれからのびやうとする苗を培ふことにつとめたい、勿論私自…

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