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さいきんのかんそう
作品ID56989
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
初出「青鞜 第四巻第八号」1914(大正3)年8月号
入力者酒井裕二
校正者きゅうり
公開 / 更新2019-04-22 / 2019-03-29
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 細々した日々の感想を洩れなく書きつけて見たらばと思ふが、まだなか/\さうは行かないものである。
 最近の私の感じた事と云へば、「エゴ」の中の「家出の前後」と題する千家元麿氏の脚本である。私は前からあのグループの人達の書くものには可なりな興味をもつて注意してゐた。そして彼の人たちに対する他の人たちの態度をぢつと見てゐた。併し何時迄たつても一人として彼の人たちに目を向けやうとする人はなかつた。今も矢張りない。そして私も黙つてゐた。私はけれどこの上黙つてゐやうとは思はない、私は世間に沢山ころがつてゐる具眼者とか批評家が何の為めに、存在するか分らなくなつてしまつた。私は寧ろ腹立たしい。併しそれ等の批評家が芸術的気分がどうだとか或は技巧だとか云つてゐるのを聞くと情なくなる。何がわかるものかと思ふ。私はそれらの技巧や気分など云ふものが真実とか力強い情熱の前に如何に小さく価値のないものに見えるかと云ふことを一層この脚本に依つてたしかめ得た。
 私はその内容だとかそれから人物だとか云ふそんな批評は此処に試みたくはない。それよりも私は先づそれを読んで下さい、と皆にたのみたい。恐らくは、そんな雑誌の存在をさへ知らない人が多いだらうと思ふ。是非よんで頂きたい、屹度々々それを読んだ人たちはあの物ぐるほしい程に充実しきつた真実、力強い熱と呼吸の渦巻の中に巻き込まれないではゐないだらう。

        ○

 九月号には婦人参政権運動について何か一寸かいて見たいと思つてゐる。それについてこの間「婦人評論」に掲げられた黒岩氏の「英国選挙婦人に同情す」と云ふ論文を読んで見た。一応の理屈は私たちも同感である。併しまだ/\黒岩氏は本当に衷心から婦人に理解や同情を持つてゐられるとは私にはどうしても信じられない。あの論文をとほしてさへ陋劣な態度がすかし眺められる。黒岩氏の婦人に対する態度はまだ本当のものではない。まだ腰のすはり処がちがつてゐる。私は今此処に生憎その雑誌がないので具体的な例を挙げて云ふことは一寸出来ないが黒岩氏はまだ頑として男尊女卑の信条にかぢりついてゐられるのがはつきりわかつてゐる。もしあの問題が外国といふ対岸の出来ごとでなく自国のことゝなつたら恐らく黒岩氏は私刑を絶叫されるであらうと思はれる。局外者だから根拠は単純でも貧弱でも兎に角婦人側に同情が出来たのだ。若しその渦中に投じたら屹度あの根本にひそんでゐるものが頭を出すにきまつてゐる。若しも同氏が腹のどん底から婦人側に対して充分な尊敬と同情とを寄せ得らるゝならば何故また私たち日本婦人としての一番手近かな痛切な問題に対して考へてゐる者に向つて理解を有せられないのだらう。私たちはまだそれを他人にまで強ひてやしない。たゞ自分の問題として考へつゝあるのだ。何等運動の形に於ても現はれてはゐない。それに対してさへも世間一般の有象無象の何…

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