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雑感
ざっかん
作品ID56992
副題〔私たちに取つては〕
〔わたしたちにとつては〕
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
初出「第三帝国 第四四号」1915(大正4)年6月25日
入力者酒井裕二
校正者笹平健一
公開 / 更新2025-05-25 / 2025-05-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私たちに取つては内生活の窮迫もこの上なく苦しいことには相違はないけれど、物質的の窮迫もまた往々かなしい矛盾を持ち来たしては私たちの生活を揺り動かさうとする。そうして私たちを脅かす。
 自分に出来得るかぎりの力を出して働いてさへも必要な金を得ることの六ヶしい人達の方が多数を占めてゐる現在の状態にあつては、物質的な満足を少しでも得やうとするにはたゞ一図にその為めにばかり機械のやうに一生懸命に休むことなくあれこれと働かねばならない。働くと云ふことに興味のある人、愉快を感ずる人、或はまた物質的な満足によつて働くことに意義を見出し得る人はそれでも幸福である。内心に不満を持ちながら家族を扶養しなければならぬ為めに渋々苦しい努力を続けてゐる人は気の毒に堪えない。
 私はさう云ふ気の毒な人に向つて自分達の生活の保証を得たい為めに無理やりに働いて貰ふ苦痛には堪えられない。けれども働いてゐてすらも満足な金の這入りやうのない者に、遊んでゐて金を貰へるあてはどうしたつてないのだ。そうして必然の結果として貧乏に見舞はれる。けれどそれが自分丈けのうちは何でもない。ひとりで忍んでゐるうちはまだいゝ、或は愛する二人での間ならば。けれども金がないと云ふことの為めに、種々な圧迫が来はじめると、その生活に揺ぎを見ない訳にはゆかない。それがさうした忍耐のないものにとつては直ぐとまた立ち上ることが出来るけれどさうした喰べる為めの無意味な労働を免かれ度いとあせつてゐる者には其処に種々な矛盾と苦悶が湧いて更に多くの考へなければならない事に逢着する。けれども稍もすれば事々にそれが窮乏と云ふ一つのことによつて解釈される。
 これは人の考へをかなしい片輪にする。窮迫と云ふことは苦しいことには相違ない。誰にでもさうである。けれども人がその窮迫に甘んじて生活しやうとするにはなほ他に、その位の苦悶が打ち消せる何物かゞなくてはならない筈である。初めは誰にでもそれがある。けれども一度ある圧迫に会つて二度三度とそれが重なつて来てもそれを何うにか片附ければあとはまた何でもないやうな顔をしてゐられる人は極くわづかしかないやうに思はれる。さう云ふ人の頭には必要に迫まられた時は窮乏と云ふことも考へるけれどさうでない時はそんな事を思つても見ないやうである。さう云ふ人には他に本当の仕事があるのだ。けれども始終貧乏を口にし事々に自分の周囲の事柄のそのすべてをそれによつて片附けやうとし、貧乏と云ふことを標榜してゐる人がこの頃随分ある。しかしさういふ人にかぎつて矢張り食ふ為めには仕方なしにでも働いて、それでゐて自分の本当の仕事と云ふものを遂ひに本当に完成させることの出来ない人の方が多いらしい。とは云ふものゝ窮乏につけての他からの圧迫が身内にくひ込むやうな苦い矛盾をもつて来ることがある。それは重もに自分以外の係累に何の理解もなくてそれ等の…

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