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私信
ししん
作品ID56993
副題――野上彌生様へ
――のがみやえさまへ
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
初出「青鞜 第五巻第六号」1915(大正4)年6月号
入力者酒井裕二
校正者雪森
公開 / 更新2016-09-16 / 2016-06-10
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 八重子様
 本当に暫く手紙を書きませんでした。この間の御親切なお手紙にも私はまだ御返事を上げないでゐました。御病気はいかゞです。私は矢張り落ち付かない日を送つてゐます。もうすつかり新緑になりましたね、此頃は毎日染井が思ひ出されます。本当に彼処の晩春から初夏にかけての殊に夕方のよさつたらありませんね、私たちもまた、彼処へかへつてゆきたくなりました。去年の今頃は毎日のやうにあすこの垣根から声をかけてはよく立話をしましたつけね、読んだものゝ話、それから書いたものゝ話ね、興味につられて何時迄も何時迄もはなしてゐましたね、丁度あの頃あなたはあの窓の下でソニヤを一生懸命にやつてゐらしたんですわね。そして、私にいろいろな興味深い話を聞かして下さいましたのね、私たちはあの垣根越しに、他の人たちがお座敷で三年もなじんだ人よりももつと親しく気安くあんな興味のある、そして、普通の垣根ごしに話される話とはずつとちがつたはなしを随分しましたわね。
 それにくらべると私のこの頃の周囲のさびしさつたらありませんのよ、不精でちつとも出かけませんので無論来て下さる方もないしそれにお友達をそんなに沢山もちませんので時々聞いて頂きたいやうな話があるときはさびしくなります。私のお友達つたら、まあ、あなた、平塚さん、哥津ちやん、位なものでせう、話したいと思つたときに聞いて貰へる人があれば本当にいゝと思ひますわ、Tが大抵の話は聞いてくれますし、解つてもくれますからそれでどんなに助かるかしれませんけれども或る特異な事になると一向男の興味が向かないことがよくあります。私はかなりおもしろいと思つて熱心に考へてゐても話してゐる人に興味が乗らない位おもしろくないことはありません、そんな時には、家の中に座つてゐてよんでも聞こえる位だつたあのあなたに近かつた家を思ひ出します。私の不精はだん/\昂じて来てこの頃でははがき一本かく事でさへおつくうなのです、ですから無論誰ともはなしもしませんし、聞きもしません、たゞ話たいこと丈けが矢鱈にあります。けれど自分のはなしたい事を話すまへにお答へしなければならないことがありましたつけね。
 私はあのお手紙を拝見してどうしてそんな噂があなたのお耳に這入つたのかと思ひましたわ、そりや噂ですもの、飛でもない処にでも聞こえるのがあたりまへですけれどもね、でも私はさう考へると直ぐあとからどうしてそんなうはさが出来たかふしぎになりましたの、だつて私たちは別に何でもないのですもの、もとのまゝの二人ですもの、ちつともかはつてやしませんのよ、ですから誰がそんな途方もない事を云ひ出したのだらうと思ひましたの、でも、それも直ぐと分りましたの、あなたは噂の内容をくはしく云つて下さらないから分りませんけれど多分Nと云ふ、今は旬刊雑誌の『D』にゐる男に関係したことなのでせう。それだとわかります、本当に何時…

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