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玉菜ぐるま
たまなぐるま
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「斎藤茂吉随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年10月16日
初出「改造」1925(大正14)年6月号
入力者秋谷春恵
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2018-05-14 / 2018-04-26
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 欧羅巴には、骨骼の逞しい、実に大きな馬がいる。僕は仏蘭西に上陸するや、直ぐその大きな馬に気づいた。この馬は、欧羅巴の至るところで働いている。その骨組が巌丈で、大きな図体は、駈競をする馬などと相対せしめるなら、その心持が勿体ないほど違うのであった。
 僕はいまだ童子で、生れた家の庭隈でひとり遊んでいると、「茂吉、じょうめが通るから、ちょっと来てみろまず」母はこんなことをいって僕を呼んだものである。なるほど遥か向うの街道を騎馬の人が駆歩している。駆歩する馬の後えには少しずつ土げむりが立って見える。その遥かな街道は、小山の中腹を鑿開いたのであるから、やや見上げるようになっていた。
 じょうめは上馬の義ででもあろうか。けれども東北の訛はすでに労働馬と相対の名に変化していた。その日本の労働馬は欧羅巴のに較べるといかにも小さい。
 僕は維也納で勉強をしていて、朝夕にこの大きな馬を見た。馬は、或る時は石炭を一ぱい積んだ車をひいていた。維也納は困っていた時なので、血の気のうすい上さんが佇んでその車をしばらく目送している光景などもあった。馬は或る時は麦酒樽を満載して通っていた。或る時は屠った仔牛を沢山積んで歩いていた。仔牛の屍の下半身が一列にぶらさがっている。下肢と尾が一様の或る律動で揺れている。その上段には仔牛の首の方が一列に並びいる。みんな目をつぶって舌が垂れている。そんな光景もあった。
 大きな蹄が音立てて街上を踏んでいるのを見ると、寂しい留学生の心はいつも和んで来た。馬は或る時はらはらさせるほど賑かなところで悠々と黄いろな尿を垂れているのを、暫くながめていたこともある。そして、三軍疾く戦はば敵人必ず敗亡せむ。武王曰く、善哉。これでなければ駄目だ。こういってはしゃいだこともあった。
 或る冬の朝、青い玉菜を山のように積んだ箱ぐるまを引いていた。何しろ玉菜の数が多くて、たかだかと虚空に聳えているような気がした。僕はこの光景にひどく感服した。ひとりの翁が車上にあって、二つの馬を馭している。鉄錆のような声で馬にものいっているが、その単調な語が留学生には分からない。馬の肩のところに頸圏が二つ並んで、その尖が上を向いているのは、馬に一種の威容を保たせている。僕は時々その頸圏のことも思った。
 きょうも教室を出て玉菜ぐるまを見ようと思った。徒歩して先ず輪街をめぐった。それからドナウ運河を渡り、プラテル街から道を東北に取って、プラテルに来た。ついにドナウの長橋を渡った。そこで市街が絶えて、ようやく村落の趣になった。
 僕は疲れてカフェに入り気のしずまることを欲していた。その時、実に偶然を絶して、大きな玉菜ぐるまが、地ひびき立てて窓前を通った。僕は戸を排し、感心してそれを見た。その時神の加護ということを思うた。次いでこの神は一体 Kosmogonie か Theogonie かと思う…

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