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鹿の印象
しかのいんしょう
作品ID57029
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下  」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日
初出「文藝春秋」1935(昭和10)年8月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2015-12-17 / 2020-02-05
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大井川奥の田代から入って三伏峠まで、十数日に亙る南アルプスの縦走を企てたことがある。大正三年の夏で、その二年前に友の一人が初めてこの山行を試み、雨の為に散々に悩まされた話を聞いていた。それで是非とも其時の案内人夫を伴い度く思ったのであるが、生憎一人も都合がつかなかったので、別人を雇う外はなかった。谷筋には相当明るい猟師であっても、山の上は全く知らないのであるから、初登山も同様で甚だ頼りがない、唯二年前に兎も角も友の一行が通過しているということが一の心強さであった。
 現今のように登山路が略ぼ完成し、至る所に指導標が建てられ、随所に小屋が設けられて、途中で迷う憂もなく、小屋から小屋へと辿って行きさえすれば、楽に目的が果されようという時代になっては、わざわざ人夫を雇って、天幕や食糧を担わせ、野宿の苦を忍んで、幾日かを山上に放浪した昔のような山旅をして見ようという物数寄な人もなかろうし、山もまたさぞ変ったことであろうと、手近な秩父あたりの有様と較べて想像しながら、昔懐しく思うのである。
 此山旅で最も興深く感じたのは、山上に鹿の群と羚羊の多いことであった。冬の間は比較的麓の方に下っているのだそうであるが、晩春になると雪解の跡に萌え出づる瑞々しい芳草を趁うて、上へ上へとのぼり、夏は全く山上を棲処としている。若し偃松の途切れた間や、短矮な唐檜白檜のまばらに散生している窪地や斜面に、稍や広い草原が展開して、兎菊、信濃金梅、丸葉岳蕗、車百合などが黄に紅に乱れ咲き、其中に肌の稍白いこんもり茂った天狗樺(方言)の老木が横に伸びて、草原に涼しい緑の蔭をつくっているような処があれば、其処はきまって鹿の群が昼寝をする臥床となっていた。天外の楽園に甘睡を貪っていた一団が、近づく人の気配に夢を破られてドッと跳び出した瞬間、眼の前に巨弾が炸裂したかのように感じて、何事が起ったのかと吃驚する。見ると褐色の群が花を蹴散らして、驀地に谷の方へ駆け下りて行く。それで漸く鹿だなと安心する。
 鹿の群は少ない時で八、九頭、多い時は二十頭近くもいた。霧の中で判然しなかったが、鳴声から察して更に多かろうと想われることもあった。之を支配する牡鹿は、小群では一頭、大群でも二頭か三頭に過ぎないらしい。大きな角をグッと後に伏せて、牝鹿を周囲に従えながら、草原を驀進する光景は、凄味に欠けていても相当な見ものである。
 猟師の所謂ノタも鹿の好む場所である。小石交りのじめじめした、草も木も生えない濘り気味のある山上の平な窪地で、それをこね返して夢中になって遊んでいるものだと猟師が話して聞かせた。草原を食堂兼午睡処とすれば、ノタはさしあたり運動場兼娯楽室とも称すべきものであろうか。この話を聞いてから間もなく、素晴らしいノタを見物する機会が到来した。
 霧の深い日であった。山稜を成す大尾根が北と南から互に擦れ違うように…

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