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四十年前の袋田の瀑
しじゅうねんまえのふくろだのたき
作品ID57036
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 下  」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年7月15日
初出「旅」1936(昭和11)年12月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2016-01-08 / 2015-12-30
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 勿来関趾をたずね、鵜子岬に遊び、日和山に登って、漁船に賑う平潟の港内や、暮れ行く太平洋の怒濤を飽かず眺めた後、湾に臨んだ宿屋の楼上に一夜を明かして、翌日仙台からはるばると辿って来た海岸を離れ、小雨そぼふる中を棚倉道に沿うて歩き出した。袋田の瀑を探りたかったからである。
 この瀑に就ては『日本名勝地誌』で其壮観は華厳の瀑に優るものがあるとのことを知っていたので、最初は海岸伝いに水戸迄出る積りであったのが、年来の目的であった勿来関趾の見物を済すと、少し海岸の単調に飽きて山の中が恋しくなり、地図を拡げて袋田の瀑が此処から略略一日の行程であることを知ると、急に予定を変更して、其方に足を向けたのであった。四十年も前の若い盛りであったから、日に十五里の道を歩くことは、さして苦にならなかった。然し地図というのが例の輯製二十万という平地は兎に角、少し山地に入ると全く役に立たぬものであった為に、絶えず岐路に迷って、花園神社へやや廻り道はしたものの、袋田へ着いたのは二日目の夕方であった。
 凡そ旅といえば、あてなしの旅と称しても究極の目的はあるものだ。ましてこれは瀑見物が目的であったから、途中の景色などはどうでもよかったし、また若い頃とて注意して観察するには自然鑑賞の素養に欠けていた所為もあろう。記憶に残っているのはつまらぬことばかりだ。だらだら続きの小山には行けども行けども見渡す限り[#挿絵]の若木が黄褐色の大きな葉を風にそよがせていた。幾度か峠を上る毎に振り返ると大津小名浜の弓なりの長汀が白く波立って霧の間から望まれた。花園神社は流石に名高いだけにこんな山の中の社殿としては立派なものだと思った。下君田という山村の一軒しかない宿屋では、晩飯の菜に身かき鯡の煮付けと、醤油で炒りつけた蝗とを山盛りにした皿がお膳の上に頑張っていた。生憎鶏卵がないという。運よく初茸を実にした味噌汁があったので助かった。
 夜中にふと目が覚めると階下で七、八人で喧嘩をしている声が聞える、気になるので梯子段の下り口から覗くと、いきり立った荒くれ男が今にも殴り合いを始めそうである、驚いてまた床の中に潜り込み、如何なることかと心配していたが、昼の疲れで何時かぐっすり寝てしまったのは幸であった。後で聞くとここは毎晩のように賭博の開かれる宿であるという。一泊十銭は平潟あたりの十七銭に較べては安いものであったとはいえ、決して安心して泊れる家ではなかった。今はこのあたりまで炭坑が開かれたので、最早昔の面影は残っていまい。平潟に限らず、浜街道の宿では泊りは総て十七銭で、比目魚か鮪の刺身に玉子焼が普通であった。それに昼食が五銭乃至七銭、草鞋が一銭、合計一日二十五銭で足りる、懐に十円あれば、たまには贅沢をして三十銭の上等で泊っても優に一ヶ月の旅行が楽しめるのであった。
 里川の谷に出ると明るく感じた。太田から棚倉に至る…

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