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書簡 大杉栄宛
しょかん おおすぎさかえあて
作品ID57037
副題(一九一六年五月三日)
(せんきゅうひゃくじゅうろくねんごがつみっか)
著者伊藤 野枝
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林
2000(平成12)年5月31日
入力者酒井裕二
校正者雪森
公開 / 更新2016-04-26 / 2016-03-04
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

宛先 東京市麹町区三番町六四 第一福四萬館
発信地 千葉県夷隅郡御宿 上野屋旅館


 今日は朝ハガキを書いたつきりでしたね。あなたのお手紙を拝見して、私も大変いい気持になりました。本当に今私は幸福です。そして、あした電話をかける事を楽しみにして。
 今日は午後からはじめてのいい天気でしたので、板場と女中を一人つれて山へ行きました。海が真つ青で、静かで、本当にいい景色でした。暫く山の上にゐて、それから又ゆつくり歩いて帰つて来ました。ですけれど、帰る途中からまた体の工合が変になつて、それつきり黙つて寝てしまひました。でも、あなたの事を考へるとおちつきを失つてしまひますので困ります。此処の女中たちはヒステリイ患者だと思つてゐるらしいのです。
 今日はもう夕飯をすまして眠らうと思ひましたけれど、眠れないので三味線をいぢつて見ましたけれど、面白くも可笑しくもないのでやめて、あなたのお手紙を順々に読んで、何んだか物足りなくてこれを書き出したのです。ゆうべウヰスキイを飲んだ上にまた日本酒を一本あけましたので、急に体に変調が来たらしいのです。自分ながら気むづかしいのに驚いてゐます。
 他に手紙やハガキを書かなければならない処が沢山あるんですけれど、筆をとりさへすればあなたにばつかり書きたくなります。父の処に一昨日から手紙を書きかけて、まだ書けないでゐるのです。かうやつて、あなたに何にか書いてゐる間だけです、ぢつとしてゐられますのは。それで、机の前に座りさへすれば書きたくなるのです。かうやつてあんまり書いてはあなたのお仕事の妨げになるとは知りつつも、書かずにはゐられないのです。どうぞ、自分に対してもあなたに対しても、あんまり節制のない事をお怒り下さいますな。
 孤月氏が、此間私のことをパツシヨネエトだつて悪く云ひましたけれど、私は今度はそんなにパツシヨネエトではないと自分で思つてゐましたのに、矢張りさうなのですね。
 かうしてぢつと目をつぶりますと、あなたの熱い息が吹きかかつてゐるやうに感じます。あしたはあなたのお声が聞けると思ひますと、本当にうれしくて胸がドキ/\します。女中たちは、毎日々々、旦那さまの事ばかり気にしてゐます。室がせまいだらうつて、頻りと心配してくれますの。私がこんなにもあなたを待ちこがれてゐる事が分るのでせうね。
 静かな夜に潮の遠鳴りが聞えて来ます。さびしい夜です。あの音が聞えますと、何んだか泣きたくなつて来ます。丁度、何時かの夜、あなたが――さう/\芝居にゐらしたといふ夜、お訪ねしてお逢ひする事が出来ないで、青山(菊栄)さんの処で話をして、あの土手から向ふを見た時のやうな、あんな情けない悲しい気がします。考へて見ますと、私も本当に意久地がなかつたのですね。あんなにも無理な口実を構へてでもあなたに会はなければゐられない程に、あなたを忘れられない癖に、ど…

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