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別府温泉
べっぷおんせん
作品ID57110
著者高浜 虚子
文字遣い新字新仮名
底本 「日本八景 八大家執筆」 平凡社ライブラリー、平凡社
2005(平成17)年3月10日
入力者岡村和彦
校正者sogo
公開 / 更新2018-04-08 / 2018-03-26
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 道路のアスファルトがやわらかくなって靴のあとがつくという灼熱の神戸市中から、埠頭に出て、舷梯をよじて、紅丸に乗ると、忽ち風が涼しい。
 ここから神戸市中を振り返って見ると、今まで暑さにあえいでおった土地も、涼しげな画中の景となって現れて来る。そうしてその神戸埠頭が今はもう視界から去ってしまう頃になると、左舷には淡路島が近より、右舷には舞子、明石の浜が手に取る如く見えて来る。私は甲板の腰掛に腰を下して海風の衣袂を翻すに任している。
 先に帆襖を作って殆ど明石海峡をふさいでいるかと思われた白帆も、近よって見るとかしこに一帆ここに一帆という風に、汪洋たる大海原の中に真帆を風にはらませて浮んでいるに過ぎない。
 それに引かえて往きかう蒸汽船の夥しきことよ。鉄甲板の荷物船が思いきり荷物を積んで、深く船体を波に沈めて、黒煙を吐いて重そうに進んでいるのもすでに三、四艘ならず追い越した。軽快な客船も、わが船の十三ノットというにはかなわないで暫く併行して進んでいるうちに遂にあとになる。向うから来る汽船はすれ違ったと思ううちにもう見えなくなる。すべてこれ等の汽船は坦々たる道路の如くこの海原を航行しているのである。
 さすがに白熱の太陽が大空に君臨している間は、左右の島も汪洋たる波も、その熱に焼きただらされて、吹き来る風もどことなく生暖かい。その風は裳裾や袂を翻し、甲板の日蔽をあおち、人語を吹き飛ばして少しも暑熱を感じささないのであるが、それでも膚に何となく暖かい。
 太陽が小豆島の頂きに沈みかける時が来ると、やがてこの船の極楽境が現出するのである。今まで青黒く見えておった島々が薄紫に変って来る。日に光り輝いておった海原に一抹の墨を加えて来る。日が小豆島の向うに落ちたと思うと、あらぬ方の空の獅子雲が真赤に日にやけているのを見る。天地が何となく沈んで落着いて来る。と、その海の上を吹いて来る風が、底の方から一脈の冷気を誘うて来る。その冷気が膚に快よい。
 暮色が殆ど海原を蔽い隠す頃になると、小豆島の灯台が大きくまたたきそめて、左手には屋島の大きな形が見えそめて来る。もう高松に着くのに間がないことを思わしめる。
 後甲板に活動写真をしているのを見に行く、写真のうつる布が風に吹かれているので、映写は始終中はためきどおしである。
 高松の埠頭に着く頃はもう全く日が暮れている。紅丸がその桟橋に横着けになると、忽ち沢山の物売りが声高くその売る物の名を呼ぶ。
「この桟橋は鉄筋コンクリートで出来たもので、恐らく日本の桟橋のうちで一番立派なものでしょう」と事務長が話した。その桟橋の両側には三艘ばかりの船が着いている。先きに途中で追い抜いた木浦丸も後れてはいって来る。船全体が明るくともって、水晶珠のようなのが一艘おる。これは宇野と高松との鉄道連絡船の玉藻丸である。
 船が桟橋にとまっている間は…

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