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貞操に就いての雑感
ていそうについてのざっかん |
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作品ID | 57112 |
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著者 | 伊藤 野枝 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林 2000(平成12)年5月31日 |
初出 | 「青鞜 第五巻第二号」1915(大正4)年2月号 |
入力者 | 酒井裕二 |
校正者 | Butami |
公開 / 更新 | 2020-09-16 / 2020-08-28 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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在来の道徳の中でも一番婦人を苦めたものは貞操であるらしい。
私は今迄かなり貞操と云ふことについては他人の考へを聞いたり教へられたりしたけれど私自身のちやんとした貞操観と云ふものは持たなかつた。私は本当にその事に就いてはさう考へるやうな事に今迄出会はなかつたし自分でも是非考へなければならないことであるとも思はなかつた。併し今迄他の人々の所謂貞操観を聞く度びに多少の意見は持たないでもなかつた。
此度はしなく生田花世氏と安田皐月氏の論文によつて私は始めて本当に考へさゝれたけれどもそれとても矢張両氏のお書きになつたものを土台としての自分の考へでまだちやんとした貞操観にはなつてゐない。
十日頃平塚氏と会つたときその話が出ていろ/\話して見てまた更に自分の考へを進めて見た。けれども結局本当に痛切な自分の問題にはならなかつた。そうして最後に私が従来の貞操と云ふ言葉の内容に就いて考へ得たことは愛を中心にした男女の結合の間には貞操と云ふやうなものは不必要だと云ふこと丈けであつた。
在来の貞操と云ふ言葉の内容は「貞女両夫に見えず」と云ふことだとすれば私はこんな不自然な道徳は他にあるまいと思ふ。
かう云ふと又其処らでいろ/\うるさい理屈を云ふ人があるかもしれないけれど例へば此処に良人に死別れた婦人があるとして若しもその婦人が死んだ良人に対して何時迄も同じ愛が続いてゐてそれが動かすことの出来ない程力強いものであるならばそれはその婦人にとつては独身でゐることは不自然でなく普通な事柄であると云はなければならない。然し多くの世間の寡婦達の間にはさう何時迄も寡婦でゐることを幸福だと思つてゐる人許りはない。貞操と云ふ道徳観念をその人達の頭から取り去つてしまつて欲するまゝに動かしたら屹度その人達がよろこんで相手をさがす事は必定である。またそれは決していけないことではないと私は思ふ。極めて自然な事柄である。
最も不都合な事は男子の貞操をとがめずに婦人のみをとがめる事である。これは最も婦人の人格を無視した道徳であると思ふ。男子の再婚或は三婚四婚は何の問題にもならぬが婦人の相当の人達の再婚は直ぐと問題になる、これは何と云ふ不公平な事であらう。男子に貞操が無用ならば女子にも同じく無用でなくてはならない。女子に貞操が必要ならば同じく男子にも必要でなくてはならない。処がこの不公平な見解が一般の婦人達をして大変な誤まつた考へに導いた。
私はその誤まつた考へを生田氏によつて初めて知つたのだ。私は驚いた。けれどもそれは氏が世間一般の人達のその卑劣な考へに対して皮肉なあてつけを云つたのだと思つたけれどもあの論文をいよ/\深く考へる程それが生田氏の本当の考へであることを知つた。私は私達の直ぐ傍にゐる人にさへさういふあやまつた考へが染みこんでゐることを悲しく思つた。それはかうである。
婦人が処女を保…