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平塚明子論
ひらつかはるころん |
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作品ID | 57121 |
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著者 | 伊藤 野枝 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」 學藝書林 2000(平成12)年5月31日 |
初出 | 「新日本 第七巻第四号」1917(大正6)年4月号 |
入力者 | 酒井裕二 |
校正者 | 笹平健一 |
公開 / 更新 | 2024-02-10 / 2024-02-06 |
長さの目安 | 約 33 ページ(500字/頁で計算) |
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最近の我国婦人解放運動の第一人者として常に注目されつゝあるらいてう平塚明氏に就いて、これ迄公にされたものは可なり多い、或は氏の事業に就いて、或はその私生活について思想について人となりについて。併しながら其の数多いものがどの程度まで氏を知るよすがとなる事が出来たかと云ふに、それは、多くがその表はれた一面の事実によつたり、或はいゝ加減な揣摩臆測によるもの、或は単なる反感から書かれたものが大部分である、それでなくとも部分的な無責任に近いものであつたが為めに何の効果をも齎らしはしなかつたものとしか思へない。
私は学校を出た許りの十八歳の秋から三四年の間ずつと氏の周囲にあつた、氏に導かれ教へられて来た、私が今日多少とも物を観、一と通り物の道理を考へる事が出来るやうになつたのも氏に負ふ処が少くない。私にとつては氏は忘れる事の出来ない先輩でもあり、また情に厚い友人でもある。そして氏の傍にゐた間、可なり氏は氏の生活を打ち開いて見せられた。それだけにまた氏の真実にも接し得たと信ずる。私は、ずつと前から氏に対する理解なき言論を見る度びに残念に思つた。或る時は自分の事のやうに口惜しさに歯をくひしばつた事さへある。何時か一度は自分で書いて見たいと思つた。しかし、それは私には大仕事であつた。うかとは出来ない事であつた。そして私は私の更に必要な仕事が何時でもあつた。二年程前あたりから、いろ/\な事情がだん/\に二人を遠くした。それにも、私は多くの責を自分に感じてゐながらどうする事も出来なかつた。さうして二人の実際の上の交りが隔つて来ると同じやうに思想の上にも稍はつきりと相異を見出すやうになつた。殊に最近の私の上に起つた転機は私の境遇にも、思想の上にも、即ち私の全生活を別物にした。一方平塚氏も、一年ばかり前からその生活の上から思想にも多少の変化があつたやうではあるが兎に角、氏の書く物の上に表はれるすべての物が、氏の落ち着きを示して来た。文章の上にも、理論に於ても、あるひはその態度に於ても大家の風格を具へて来た。そしてそれは私に多くの興味を持ち来たした。最近に至つては前からの氏に就いて持つてゐたいろ/\な記憶の上に一層はつきりと肯かるゝものを多く発見し出した。そうして、私は此処に氏に就いて私の知る限りの事をかたむけ尽して書かうとするのだ。しかし乍ら私は、これでまだ氏に対する凡ての手続きを踏んでゐるものとは思はない。けれど現在に於いて自分で尽せる丈けの手続きは取つた。で私としては出来る限り叮嚀なつもりである。が私がこれから書いて行く事の上に表はれる氏が、真実の誰が見ても動きのない氏の面目かどうかと云ふ事には私は与り知らない。唯だ、私にさう観える事だけは誰が何と云はうとも事実なのだ。そして今迄公にされたやうな無責任な甚だしい見当違ひの観方でないと云ふ自信はある。
私生活に於ける氏
氏…